朱川湊人『あした咲く蕾』(文春文庫,2012 年)を通勤電車で読んだ。私はこの作家のファンなんである。どこにでもいそうな人間を描いて,愛しい思いを抱かせる物語の数々。全七篇の短篇からなる。私はその最後の短篇『花,散ったあと』を読みながら,電車のなかで不覚にも泣いてしまった。
『花,散ったあと』には虚言癖のある貴明が登場する。口を開けばすぐウソだとわかる話ばかり。どうしてウソばかり吐くのか —「だってよ……その方が面白いじゃん」(p. 265)。銀座を散歩してたら山口百恵に出会いマクドナルドでハンバーガーをおごってもらった — 想像すると楽しくなるようなウソ。貴明は幼いころ母親が「蒸発」して,つまり男をつくって逃げてしまった。「だから少しでも楽しい気分になれるなら,人を貶めるためのものでない限り,ホラだろうがウソだろうが,大目に見てやってもいいのではないだろうか」(p. 266)— と,語り手「私」は貴明を認め,幼いころから彼を親友として愛している。そんな貴明が一度だけ「これだけはウソだと思われたくない……だから, [ ... ] 話さないようにするよ」と言ったことがあった。それは何か。「私」はそれから何年もたったいま,死期を迎えた貴明に問いただす。
それは何か。本書をお読みください。死の病床にあっても人を気遣ってウソを吐かずにおれない人間像って何なんだ。
あの孫文をも立ち直らせたというほど元気の出るチャーハンを生み出す中華鍋,それをカンカン轟かせながらチャーハンを炒める中国人おばちゃん料理人の物語『カンカン軒怪異潭』。湯呑みの水面に月を映して願い事をする美しい叔母の悲しい物語『湯呑の月』。などなど,優しく愛おしい物語で,幸せな気分になれます。