尾形仂『野ざらし紀行評釈』

Dmitri Smirnov から依頼されている松尾芭蕉ロシア語訳への注解作業について,ここのところ進捗がはかばかしくなかった。プーシキン全集見出語コンコーダンス Конкорданс к тексту А. С. Пушкина のプログラミングやら,ストラウストラップの C++ 本の研究やらに夢中になっていたというのもあるけれども,作業対象の芭蕉句が貞享期,すなわち名句が次々と出て来る円熟期に入り,読まなくてはならない参考書が増えたためでもある。D. Smirnov 訳による Хайку Басёhttp://wikilivres.ru/Хайку_Басё から閲覧できる。

でもって,尾形仂の書いた『野ざらし紀行評釈』を読んでいるところ。本書は『野ざらし紀行』全ての本文の現代語解釈だけでなく,文言のレアリアを徹底的に追究し,言葉の背景にある古典文学の典拠を広く引いてその芭蕉作品における役割・意義を検討し,尾形自身の学究としての鑑賞を述べ,芭蕉最初の紀行の芭蕉作品における位置づけ・芸術的意味・特徴を明らかにしている。芭蕉の芸術的理念のみならず実生活上の事情をも丹念に追跡し論を総合しているところ,ホンモノの学者の仕事というものを見せつけられた観がある。底本は最終稿とされる芭蕉自画自筆巻子『甲子吟行画巻』とするが,その他の版・自筆巻子をも対照しつつ解説している。

本書で私がいちばん感心したのは,俳句・俳文で言及・引用されている古典・禅林の意味と,芭蕉自身の心の表象・感情との対立から,詠まれた対象の意味が「屈折」しているところに『野ざらし』の特徴がある,との尾形の読み,さらには,この対立の割れ目の自覚こそが芭蕉を旅へと駆り立てた,という中心的コンセプトの分析だった。

自己の姿を禅林の偈頌の中のものと観ずることによって救いを見いだしてゆく方法は,天和期の「芭蕉野分して盥に雨を聴く夜かな」とか「馬ぽくぽく我を絵に見ん夏野かな」などの場合と共通するが,ここ [「三更月下無何に入る」の文言,「野ざらしを心に風のしむ身かな」の句:私註 ] では特に大仰に構えた姿勢の中に笑いの表情が濃いのと同時に,観念の上では「昔の人の杖にすがり」「野ざらしを心に」期しながらも,感性の面ではそれにすがりきれずに,秋風の肌寒さが身うちに沁み徹ってゆくのをどうすることもできない,理性と感性,観念と感覚との割れ目が顔をのぞかせているのが特徴的だ。これは漢詩文の境地と自己の生活とを一如に観じた天和時代にはなかったところである。思うに,かれをこの旅へと駆り立てたものは,俳諧師としての現実的な目的とともに,より本質的にはこの割れ目の自覚にあったというべきだろう。紀行の本文は,以下,屈折した隠微な笑いの表情にくるみつつ,次第にその割れ目を埋めてゆく過程をつづってゆく。
尾形仂『野ざらし紀行評釈』角川書店,1998 年,33 頁。

「二種類の芭蕉自筆巻子によれば,『野ざらし紀行』は他の紀行文の場合とは異なり,句の部分のほうが字高が高く,地の文は句の詞書のような形で書かれている」(同書,2 頁)— という指摘も,芭蕉紀行文において,散文部分が詞書の大規模化を通して『奥の細道』の独自の形式に進化した過程を示しているようで,興味深かった。