台風4号

いま暴風が吹き荒れている。家が揺れてちょっと凄い。六月に台風が日本を縦断するのは八年ぶりとのことである。暑いので屋根裏部屋の窓を開けっ放しにしていたことを思い出したが遅かった。窓際の本棚が水しぶきを浴び,オーディオラックに立てかけておいた絵のフレームが床に吹き飛ばされていた。

* * *

出版社に勤める妻が雑誌の投稿欄の投稿者名の誤植について本人からおしかりの電話を受けたと話していた。書籍の校正は担当者の注意力のみならず出版社の体制・体質で差が出るものなんだろうけど,マチガイは出るときは出てしまう。

われわれシステム商売でも,官公庁の行政サービスで,間違った情報を一般市民の目に触れさせてしまう「結果障害」は,絶対やってはいけないものとされている。一般的には,間違いを出してしまうよりはジョブの異常終了,システムダウンのほうがまだマシだと考える。もちろん東京証券取引システムのように止めること自体が最大の悪である場合もある。でもそれは二重化でほとんどが救える悪である。誤情報流出は SE・プログラマの恥なのである。

出版物の誤植のように,チェックしたのにすり抜けて行くバグを回避する手っ取り早い手段は,同じ人間が何回もチェックすることよりもむしろ,複数の人間の目で確認することである。昔はコンピュータへの入力作業は基本的に専門のオペレータがやっていた。プログラムですら,プログラマが PC のエディタ上でタイプして行くのではなく,紙に書いたコードを専門の入力オペレータに委ね,電子化されたものを磁気テープでもらってデバッグしたものである。そのほうが速くて確実,しかも安上がりだったのだ(プログラマよりも入力オペレータのほうが賃金が低かった)。ここで,入力作業では同じデータ/プログラムのタイピングを二人のオペレータが別々に行い,その二つの入力データの差分をとり,不一致の部分を第三者が訂正する手法が取られていた。二人が同じところで同じ入力ミスを犯す確率が極めて低いことが経験値としてわかっているからである(おそらく理論的にもそのはずだ)。

同じことを二人にやらせてミスを減らすのは,現在でもシステム変更修正(要するにシステム設定のバージョンアップ)作業などでは鉄則になっている。手順書に基づいてオペレーションをする担当者に,手順書通りのオペレーションがなされているかをチェックする担当者を着けて,作業をさせるのである。もちろん作業者が二人になる分,工数が二倍になるのだが,一人でやらせて失敗したあとのリカバリ工数は十倍以上要するのがわかっているので,こうしたところをケチるマネージャは信用されない。

* * *

EURO 2012,なんとオランダが三戦全敗で予選敗退となった。オランダは今回の EURO ではスペインにワールドカップの雪辱を果たすものと私は期待していたのに。1980 年代末,ファン・バステンが活躍したころのオランダの印象が強く目に焼きついているからか,私は会社でのトトカルチョでいつもオランダに張っては負けて来た。それでも懲りずにオランダに期待してしまう。今回も外されました。ウーム,いくら攻撃陣が超豪華でも,守備がイマイチだとチームとしてこうなってしまう,というよい例ですな。

もう一方で,私は東欧の国々の魂のサッカーが好きで,今回もクロアチア,チェコを応援していた。ビッグネームがまったくいないにもかかわらず,我慢に我慢を重ねてハードワークし一瞬のスキを突いてスペイン,イタリアなどのサッカー超大国と互角の試合をする,そういう東欧の試合運び,闘いのポリシー,できることを出し切るメンタリティをこそ弱小国・日本は学ぶべきだと思うからである。こういうサッカーを築き上げたオシムが日本代表監督になったとき,日本サッカーがブラジルサッカーの哀れな猿マネからやっと脱却できるのではないかと私は考えた(でも,オシムは志半ばで病いに倒れ,この流れは断ち切られてしまったのだけど)。残念ながらクロアチアはスペインに敗れ,イタリアに抜けられてしまった。チェコがなんとか8強に残ってくれた。

ところで,TBS で放送されたイタリア VS クロアチアの中継観ました? スタジオの加藤浩次くん,ゲストはもとより,実況アナ,解説者・金田喜稔氏,福田正博氏に至るまで,ことごとく「サッカー超大国」イタリアを応援していて,吐気がした。これはテレビの前にいる大勢の人たちの意見を代表しているわけである。

テレビ局としてはそれはそれで仕方がないのだが,サッカー解説者がこの体たらくなのは一体何なのだろうか。こういう人気最優先のサッカー解説者たちが日本代表を堕落させていると私は思っている。日本のサッカーを世界標準に高めたいと望むプロフェショナルなら,その高い基準で日本代表を観察し,叱咤激励するのが勤めではなかろうか。ダメな日本人選手は一流と比べてここがダメ,と何で指摘しないのか。「こんなヤツが代表選出なんてふざけるな」と何故声を荒げないのか。人気のある選手を持ち上げるだけの解説なんて聞きたくもない。

まさにここが,英国やドイツのスポーツメディアとの決定的な違いだと私は思う。プーシキンは,批評がその国の文学のレベルの尺度だと言っていた。至言である。サッカー解説のヘボさ加減,人気至上主義こそが日本のサッカーのレベルを表している。われわれパンピーは日本人なんだから日本代表を無条件に讃え応援する。それでよいのだ。しかしプロフェショナルの批評家が同じアマチュア的大衆迎合をしているようでは,国力は上がらない。アウトである。