今日のお休み,久しぶりにブラームスを聴いた。ブラームスはドイツ人の真面目でウブな感情の塊のようなイメージがある。事実,ドイツ人は本当にブラームスの音楽が好きである。冗談が通じないあの重厚さは,ときに聴いていて煙たくなるときがある。それでも私はブラームスが好き。弦楽四重奏曲,交響曲,ヴァイオリンとピアノのための協奏曲,ピアノ曲,ヴァイオリン・ソナタなどなど,どれも不用意に聴くとホロリとさせられる絶品ばかりである。
ピアノ協奏曲第一番ニ短調作品 15 がいちばんのお気に入り。これ,しかしながら,彼の若書きで,その管弦楽法にケチを付ける人が結構いる。最初はピアノ・ソナタとして書きはじめられたのに,どうも構想がでかくなり交響曲に改変されたと思いきや,ベートーヴェンの亡霊に脅かされたのか(?),完全主義者だったからか,途中でピアノ協奏曲に変更された。どうも威勢はいいが優柔不断な経緯を感じさせる。第一楽章のマエストーソは厳粛で,ヒロイックで,大上段に振りかぶった気合いがあまりに大げさなので,後年の円熟したブラームスを好きな人はちょっと引いてしまうかも知れない。でも,やっぱりロマンチックでよいんである。
交響曲に相応しい歌い出しだからかピアノがなかなか入って来られない。オーケストラの厳粛な力強い演奏が 90 小節も続き,やっと一段落したところで,独り言のようにさりげなくピアノ独奏がはじまる。「え? いまごろかよ? 孤独な悩めるヒーローの登場か!」みたいな進行が面白い。
緩やかな第二楽章は打って変わって,天上的な優しく清らかなテーマと,思い出したような突発的激情とが,ホント,堪らなく美しい。亡くなったシューマンへの哀悼か,残されたクララ・シューマンへの恋慕か,そのどちらもひしひしと感じられるいい楽章である。涙がチョチョギレます。
第三楽章はそれまでの厳粛,清らかな情愛と比べると,逃げて行くような軽やかさがあり,「ちょっとバランス悪くね?」という感じが否めない。
私がこれまで聴いたピアノ協奏曲第一番の演奏でもっとも感動的なのは,ダニエル・バレンボイムのピアノ独奏,ズビン・メータの指揮,ニューヨーク・フィルハーモニックの管弦楽によるものである。アナログ・レコードの時代から聴いて来た。以下に第二番とのカップリング CD のリンクをあげておく。
Z. Mehta (Dir), New York Philharmonic Orchestra.
SONY (1998-05-29)