妻がマーラーの『亡き子を偲ぶ歌』が聴きたいというので,アグネス・バルツァの盤があったはずだと CD 棚を探した。ほどなく見つかった。私もマーラーが聴きたい気分になり交響曲第 7 番を取り出した。Gustav Mahler: Symphonie Nr. 7, "Lied der Nacht". Claudio Abbado (dir.), Chicago Symphony Orchestra. Deutsche Grammophon, 1984。ところがケースを開けたら,しばらく死蔵していたためか,CD 保護スポンジ材が化学反応か何かで CD にへばりついてしまっていた(セット物 CD にしばしば付いて来るこの保護スポンジ材は,CD に対して悪い経年変化を来すので,買ってすぐこれを捨て去るのがよい)。CD にこびり付いたスポンジを OA クリーナーでゴシゴシ拭いたら CD の印刷面がレーベルもろともかき消されてしまった。「ちゃんと鳴るかな」と不安になりつつ,オーディオにセットして再生したところ,果たしてウンともスンとも言わない。今度は CD を Mac の DVD デバイスで再生してみるときちんと鳴る。書斎のオーディオが故障してしまったらしいのである。「えー!? サーバの次はオーディオが故障かよー」。クソ暑かった今夏,とうとう耐えきれなくなったか。
CD プレーヤ,プリ・アンプ,パワー・アンプ,スピーカ。壊れたのはこのうちどれだ? めんどくせぇー。アナログ・プレーヤも音が出ないので,CD プレーヤではなさそうである。スピーカなら 2 台同時にアウトなんてありえない。となるとプリかパワーのアンプだ。書斎のプリ,パワーはそれぞれ YAMAHA の C-2, B-6 というモデルを長らく愛用している。B-6 のピラミッド型の個性的デザインもたまらなく好きなんである。このほかに,以前使用していた Technics 製 60A, 70A というプリ,パワーのアンプを予備として残してある。この 4 機 — これらは皆 1970 年代に生産された超オンボロであるが,オーディオ機器としての質はいまだに現役なんである — を切替えて確認したところ,故障したのは C-2 プリ・アンプだと特定できた。
リビングで使用しているプリ・アンプ — これも YAMAHA 製 C-2x という古色蒼然たるモデル,壊れた C-2 の上位機である — を書斎に移すことにした。リビングには Technics 70A を復活させる。システム・コンポーネント・オーディオのコードの繋ぎ替え作業の苛立たしさはやったことがある人にしかわからないだろう。70A は通常のフォノ・アンプ(アナログ・レコード信号のプリ増幅回路)しか搭載しておらず,リビングで使っているアナログ・プレーヤの MC カートリッジの小電圧には対応していない(C-2, C-2x は MC カートリッジ用の素晴らしいフォノ・アンプを備えており,トランスは不要である)。そこで MC 昇圧トランスを仲介しないといけないのだが,お蔵入りにした MC 昇圧トランス DENON 製 AU-300LC を,どこに仕舞ったのかなかなか探し出せず苦労した。見つけたときは,捨てなくてよかったと胸を撫で下ろした。何とか接続作業を終え,書斎の再生装置が再び鳴るようになった。でも,C-2 には思い入れがある。ヤマハはまだ修理を受入れてくれるかな,と心配になる。
ああ,やっぱりスピーカから出て来る音響のほうが断然よい。この至福は,iPod なんぞに満足しているうちのガキどもにはわからない(昨今,オーディオに少しでもこだわりをもつのはオヤジ世代になってしまった ...)。マーラーの 7 番 Lied der Nacht をいま聴いているところである。この曲は,五つの楽章それぞれの変化が多様過ぎて聞き所がよくわからず,マーラーの交響曲のなかではあんまり人気がないように思う。「夜の歌」と題されているけれども静謐なイメージがまるでなく,じつはヴァルプルギスの夜なのではないかと思わせるくらいに狂躁的な要素が強い。病的なスケルツォがあったりパッパラパー的ファンファーレがあったりと,全体としてパラノイアな雰囲気があり,私はけっこう好きなんである。私の愛聴するアバド,シカゴ響による演奏がドイツ・グラモフォンでまだ生きているようなので,リンクを設置しておく。