馬込文士村散歩

Movable Type 5.1 RC が出たので,ちょっと試してみた。でもカスタマイズをもう一度反映するのにひどく手間がかかりそうだったので,Ver. 4 に戻すことに。ところが,とってあったバックアップからの復元がエラーになり,ハマリまくった。Movable Type のバックアップ・ツールは信用しないほうがよい。Web 環境全体をごっそりコピーするほうがシンプルにして確実である。

Facebook でロシアの現代女流詩人オリガ・セダコヴァからメッセージをもらった。彼女の詩集や紀行文,プーシキン関係論文,教会スラヴ語関連学術書を読んで,私は彼女の作風に強く惹かれていたので,信じられないくらいうれしかった。インターネット時代となり,友達の友達を六段階くらい辿るとたいていの人が繋がり合うという話があるけれども,ひと昔前ならこんなことは考えられなかった。

また,同じく Facebook で,ロシアの作曲家ガリーナ・グリゴーリエヴァから,すみだトリフォニーホールで開催される東京カンタート・クロージング・コンサートへの招待があった。彼女はこの催しに招かれて来日するという。そこで彼女の合唱曲『生の夜』が演奏されるんである。「ぜひお会いしましょう」とのこと。こちらもうれしくてならない。だけど,当日はすでに別の用事が入っており,どうしようか悩んでいるところである。
 

* * *

連休に入り,妻と馬込文士村周辺を散歩した。大田区馬込・大森山王界隈は,かつて,萩原朔太郎,室生犀星,北原白秋,日夏耿之介,吉屋信子,三好達治,北園克衛,和辻哲郎などなど,錚々たる作家・詩人たちが住まったことで,馬込文士村と呼ばれている。若き日の川端康成,三島由紀夫も住んでいたらしい。大田区郷土博物館で,文士ゆかりの品々を見学した。北原白秋や日夏耿之介,萩原朔太郎の自筆原稿,初版本など,興味深かった。
 

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左は大森駅山王口すぐにある馬込文士村の作家・詩人たちのレリーフ。ちょっとゾンビみたいで怖い。夜にはこの前を歩きたくないものである。右は博物館にあった日夏耿之介の雑誌『戯苑』のカバー。
 

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この詩歌集にあるような活字の質感は,いまや失われてしまった。日夏耿之介の『黒衣聖母』の黝い浪漫主義には,あの凹凸感のある旧字体活字こそが相応しい。彼の詩は,紋切型のおどろな物語性がなんとも鼻に付くのだが,それゆえにこそ私にとっては堪らない魅力がある。

怕る怖る眺めあげる
黄金色の礼拝壇の中央には
端厳美麗の永貞女彳みたまふ
その眼前の赤蠟燭の大柱の
とぼとぼと燃えさぐる灯の睛のいろは
眼疾を疾んだのか
気弱い灯影疼みただれて
白い泪はしめじめと
紅艷の燭柱の素肌を泫れる
悪 いかほど淫慘な柔肌か
日夏耿之介『蠱惑の人形』—『日本の詩歌』12,中公文庫,1976 年,115 頁。

佐藤惣之助のコーナーに,『六甲颪』,そう,あの阪神タイガースの応援歌の詞が掲げられていた。佐藤の作詞によるもの。プロ野球がやっと開幕,楽しみがまた増えたわけであるが,残念ながら,どうやら今年もわが真弓阪神タイガースはダメ虎のようである。おまけに金本アニキの連続出場記録も,どっちらけの終焉。アニキを温存せぇとは言わんけどやで,配慮が足らなさ過ぎやおまへんか。「意を決して」,ではなく,「判断ミス」で記録が途絶えた,なんていったいなんなんだ。アニキがカワイソ。なんの覚悟もない,ブレーン任せの判断誤りばかりで,まったく存在感,リーダシップが感じられないこと — 真弓監督,菅総理の共通点である。

その他,博物館展示品では,坪田譲治宛萩原朔太郎書翰の,罫を無視した大胆な筆跡が印象的であった。それにしても,昔の詩集・小説本は装丁が奇抜で,工芸的意匠に溢れているんである。

文士村散歩といっても,周辺は細い道が入りくねった閑静な高級住宅街であって,地図を片手に歩いても,番地をたよりに道を探すのに苦労し,お金持ちの家が眼につくばかりで,なんの面白みもなかった。北園克衛が住んでいたという場所を探したのだけれども,まるでわからなかった。12,000 歩ばかり歩いて適度な運動をして来たという感じ。

大森駅に着いたらハラがペコペコ。喜多方ラーメン坂内食堂を見つけ,ラーメンと餃子を食った。アサヒ・スーパードライが腹に沁みて旨かった。