川崎大師薪能

今日,仕事を早めに切り上げて,川崎大師薪能を観に行った。毎年,この時期に行われる川崎大師・平間寺恒例の行事である。薪能とは通常の演能・五番仕立てとは異なり,能本来の神事的役割をもった興行であって,はじめに法楽の儀式が大導師によって執り行われる。般若心経のありがたいお経を戴いて,舞台を清めるのである。螺貝の音とともにお坊さんが登場するところ,そして,声明と,奇しき倍音を引く鈴(リン)の音は,なんとも厳かであった。

ところが,残念ながら,今日から入梅。雨もよいのおかげで本堂横のアウトドアでの興行は取りやめとなった。体育館のような平間寺信徒会館での観能となり,篝火の火入れもなく,お坊様の法会の荘厳さも少し殺がれた感があった。

演目は,舞囃子『弱法師(よろぼし)』,狂言『柿山伏』,仕舞『難波』及び『邯鄲』,そして最後に能『巻絹(まきぎぬ)』神楽留。あらかじめ謡曲集で詞章を読んでおきたかったのだが,私の手元にある新潮,岩波の『謡曲集』には『巻絹』は収録されていなかった。でも実際は,狂言も,能も,セリフがハッキリと聞き取れ,意外とわかり易かった。

『巻絹』はいわゆる四番目・狂乱物の曲で,あらましは次のとおり。帝の命により千疋の巻絹を三熊野に奉納することになったが,その巻絹を運ぶ使者(ツレ)が途中,音無天神で寒梅を賞でていたために遅参してしまう。怒りに駆られた勅使(ワキ)は使者を縛める。そこに神が憑いた熊野の巫女(シテ)が現われ,音無天神に和歌を手向けた使者の徳を讃えて縛めを解き,神楽舞を舞う。

私は能の舞や所作の素晴らしさを正しく理解できるクチではないが,象徴に満ちた簡素な舞台の結構や,梅枝を手にしたシテの豪華な小袖,空間を切り裂く笛の蕭条とした音響に魅了された。使者(ツレ)の歌「音無にかつ咲き初むる梅の花・匂はざりせば誰か知るべき」の上の句と下の句とを,使者と巫女がそれぞれ掛合いで吟ずることで,巫女の神がかりが勅使(ワキ)のなかで正当化されるくだりは,能の作者(観阿弥)の古典的芸術観 — やまとうたはちからをもいれずしてあめつちをうごかし云々という古今集以来の詩精神 — の現れかと面白かった。

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川崎大師は何年ぶりか。大学生になる上の息子がまだベビーカーに乗っていたころの初詣以来のような気がする。開演までに余裕のあるころあいに京急・川崎大師に降り立ったので,近隣を少し散歩することにした。表参道に沿ってずっと歩いた。初詣のときは人出が凄いが,この時期,この時間帯はまったく人がいない。商店街もなかばシャッターが降り閑散としていた。絶滅危機に晒されている業種・昔ながらの米屋があってちょっとびっくりした。なのに今を時めく AKB48 の米食広告が店先に掲げてあっておかしかった。昔ながらの八百屋・魚屋の並ぶ横町があった。『昭和マーケット』とその名も凄まじい八百屋のおやじは,銜え煙草で野菜を売っていた。なんとも懐かしい風景だった。その横町からさらに小路に入ると居酒屋の仕舞屋が並んでいた。新宿のゴールデン街のような風情だった。寂れ感ばかりが漂っていた。昔は一階で酒を呑ませ二階で客を取っていたのかもなんて下びたことを考えてしまった。

観能の前に少し腹ごしらえをしたかった。だけど,なかなか飲食店が見つからず。しようがなく『昭和マーケット』の近くの総菜屋でコロッケを二個買って,歩きながらむしゃむしゃ食った。スーツを来たサラリーマンが「よーッ」と口走りながら(謡曲のマネをしながら),コロッケを食いながら歩く様はみっともないに違いない。道ですれ違った小学生にクスクス笑われてしまった。この男爵芋コロッケ,一個 120 円と少し高かったけれども,芋がしっかり詰まってバターがよく効いていて旨かった。

今年の秋は,妻と近所の夢見ヶ崎での薪能を観ようか。来年の川崎大師薪能では,晴れてくれるだろうか。

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