Бреславец «Поэзия Мацуо Басё»

この連休は,散歩に一度出たきりで,あとは何もせずにぼんやり過ごした。ロマンチックな長編ミステリーでも読みたいと本屋に行くも,適当なものが見当たらず。結局,「積読」状態だった本,ロシア人研究者による芭蕉論を読んだ。Бреславец Т. И.  Поэзия Мацуо Басё. М.:«Наука», 1981 (タチヤーナ・ブレスラーヴェツ『松尾芭蕉の詩』モスクワ,1981 年)。ソヴィエト科学アカデミー東洋学研究所から出版されたものである。

本書はわずか 152 頁の小さなモノグラフではあるが,芭蕉の生涯と文学史的位置,その美学的諸概念,表現手法の特徴について,総合的に解説した力作である。悟り,しをり,寂び,細み,軽み,不易流行,風雅の誠といった概念を具体的作品に照らして説明しているところは,外国人がどのように日本の古典文学にアプローチするのかについて興味深いだけでなく,ロシア語でこれらの術語を説明するネタとして極めて有益だった。日本人による芭蕉論は軽み・不易流行に重きを置くものが多いと思われるけれども,彼女は上記の美学概念の究極的本質として,風雅の誠を芭蕉の詩的真実だと位置づけている。日本の伝統と日常的・庶民的美の融合こそが芭蕉の最大の功績であるとしている。

歌枕,切字,本歌取り,枕詞,掛詞,縁語などの詩法について,その効果,日本古典詩の特性が,説明のレベルを落とすことなく,なにも予備知識のない読者(研究者・学生)にも伝わるように解説されている。音韻的分析は興味深かった。詩の国・ロシアの研究者らしさがここにあると思われた。Ю. Лотман, Б. Томашевский, В. Виноградов の詩論が援用された芭蕉俳論に出くわすとは思ってもみなかった。次の「閑さや岩にしみ入蟬の聲」の分析はとくに新鮮だった。

Чтобы подчеркнуть значение слов, поэт часто прибегает к аллитерации и ассонансу:
Сидзукэса яТишина.
Ива-ни симиируСкалы пронизывает
Сэми-но коэЦикады звон
[131, т. 41, с. 169, № 280]. 1689 г.
Повторяемость звуков «и» и «с» наполняет стихотворение звоном цикад, который разбивает молчание скал. Звук и тишина сливаются воедино, усиливая друг друга. Так впечатление от содержания хайку усугубляется его звуковой организацией.

ことばの意味を強調するために芭蕉はしばしば子音反復法と母音反復法を用いている:閑さや岩にしみ入蟬の聲 Shizukasa ya / Iwa-ni shimiiru / Semi-no koe (露訳省略)。

«i» 音と «s» 音の繰返しは,岩の沈黙をうち壊す蟬の声で詩を満たす。声と静寂はひとつに融け合い,互いを強調し合う。このように俳句の内容から受ける印象がその音声組織によって倍加されるのである。

Бреславец Т. И.  Поэзия Мацуо Басё. М.:«Наука», 1981, с. 133.

芭蕉にある連句と連衆の詩精神についてロシアの研究者の見解が聴きたかったが,その点についてはほとんど触れられていなかった。そこが本書に感じた不満であった。西欧人にとって藝術作品はほとんどつねに個人による一個のシステーマである。それが無意識の formula になっている。拭い去ることのできない個人主義がある。相聞,歌合わせ,連歌,連句抜きに,日本の詩歌の驚くべき高みは理解できないと私は思う。

 

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ロシアの日本文学研究もかなりなものだと興味をそそられ,Ozon でちょっと漁ってみた。これはというものが見出せなかったが,面白い本を見つけた。Рубоко Шо «Эротические танки», 2009.— Ruboko Sho『エロティック短歌集』という本。

「ルボコショウ? なんやそれ」。「Эта книга была написана в X в. и представляет собой удивительный, яркий образец средневековой японской поэзии из цикла любовной лирики. Традиционные пятистишия Рубоко Шо вводят читателя в глубоко чувственный, метафоричный мир поэта.— 本書は 10 世紀に書かれ,中世日本恋愛抒情詩の驚くべき輝かしい典型である。ルボコショウの伝統的短歌は読者を詩人の深い官能と陰影の世界に導く」とある。そんな歌人いたっけ? 流鉾抄か? でも歌人の名前なんだよな。国文をやった妻に聞いても知らないという。ロシアの日本好きによるサイト Fushigi Nippon に記事:Рубоко Шо - Ночи Комати, или Время Цикад - Поэзия - Статьи о Японии (るぼこしょう - 小町の夜々,あるいは蟬の頃 - 詩 - 日本に関するコラム) があった。それによると Кино Кавабаки きのかわばき? によって 20 世紀末になって発見された歌人だという。だんだん胡散臭くなってきた。

どうやらルボコショウは мистификация (偽作) のようである。この単語を付加して Google 探索した結果,Рубоко Шо というのは Олег Борушко オレーグ・ボルシュコという人のアナグラムだということがわかった。なんだ人騒がせな。

「一首」だけ訳してみた。

О пара ночных мотыльков
В любовной истоме
Хаги в полном цвету
Вместе с одеждой
Ты сбросила стыд
 
一つがいの夜の蝶よ
愛欲の気怠さのうちに
萩は花開く
衣とともに
お前は恥じらいを脱ぎ捨てる

どうも明け透け過ぎますな。でも,日本の古典を装ってエロティック詩集が出るロシアという国も面白いと思った。この偽装詩集を発注してしまったのは言うまでもない。ちなみに,いま,ロシアでの日本文学ベストセラーはというと,Ozon によれば,桐野夏生,村上春樹,芥川龍之介などなど。芥川は昔からロシアでファンが多いけれども,現在は村上春樹がダントツで人気がある。桐野夏生は意外でした。