田中善信『芭蕉—「かるみ」の境地へ』

田中善信の『芭蕉—「かるみ」の境地へ』を読む。中公新書 2010 年刊の比較的新しい芭蕉論。先日,『芭蕉二つの顔』がたいそう面白かったが,読んでいる最中にこの『芭蕉』も同じ田中善信による著書であることに気付いた。俺も,最近,抜けが酷い。

本書は芭蕉の生涯と作品を解説した啓蒙書である。俳句文藝に詳しくない者も芭蕉時代における連句や俳諧の事情についてわかるようにやさしく書かれている。蕉風確立の過程で一定の影響を与えた貞門,談林の俳諧潮流の特徴を具体的作品に照らして説明してくれるプロローグから,本書は確かな研究者によるものだと納得させられた。

芭蕉は,俳聖とされ神と崇められ,俳句の世界では頂点に君臨する権威者,俳論と藝術観の高尚なヴェールに覆われた求道者,といったイメージが確固としてある。一般の芭蕉研究では,芭蕉もそれに相応しい堅苦しい「芸術家/思想家」の人物像を着せられることが多いのではなかろうか。これに対し,『芭蕉—「かるみ」の境地へ』では,冗談好きで明るくサービス精神旺盛で涙もろい人間的側面がより表に出るように描かれている。

漢句とされてきた『虚栗(みなしぐり)』掲載句を発句と評価したり,作品の位置づけの解釈も著者独自の見解がある。2008 年に発見された芭蕉書簡によって,路通(芭蕉の弟子で,乞食の放浪生活をした。他の門人から嫌われていたが,芭蕉自身は彼の独特の才能を高く買っていた)が直前に失踪したために,曽良が『おくのほそ道』に随行することになった事情など,新しい研究成果についても述べられている。