二畳庵主人・加地伸行『漢文法基礎』

二畳庵主人・加地伸行『漢文法基礎』(講談社学術文庫,2010 年)を読む。朱川湊人『いっぺんさん』を読了して,ちょっと一休み。『漢文法基礎』は 1984 年に Z 会の受験参考書として出版された本である。なんでこんな学習参考書が講談社学術文庫から出るのか。じつは,最近,この手の昔の「学参もの」が相次いで文庫で再刊されている。小西甚一『古文の読解』(ちくま学芸文庫),高田瑞穂『新釈 現代文』(ちくま学芸文庫)など。

何故なんだろうか。もちろん,これらの書籍は高度な内容を高校生向けに説いた,確かによい本であるけれども,ちょっとこのブームは気味が悪い。最近の学参は質が悪くて「昔を見習え」とでもいう主張があるのだろうか。難しいことをさも易しく説いてくれるものへのブーム(『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』なんて俗流本に釣られる人があまりに多いようである)があって,これらもその一端なのだろうか。違うと思う。学参のレベルが落ちているとの声も聞かないし,高等学校教科としての国語はピーター・ドラッカーの言説とは範疇の異なるテクニカルなもの(つまり,やれば誰でも習得できるもの)である。そして,これらの本は私が大学受験のころにお世話になったものばかりである。「ああ懐かしい」なんである。となると,どうやら私たちの世代が懐古趣味につけ込まれて単に商品の経済的ターゲットになったに過ぎないのだ,と考えざるを得ない。ま,それもよし,である。

私は漢詩が好きである。大学のころはロシア語をはじめ外国語の文献渉猟に追い回されていたためか,漢詩を読む機会は大学を出てからのほうが多くなった。頼山陽や菅茶山などの江戸の漢詩人に触れるようにもなって,なんで漢籍という日本の素晴らしい伝統が廃れたのか大いに残念だと思うにつけても,高校時代それほど得意でなかった漢文も,社会人になってから岩波全書『漢文入門』(岩波書店,1957 年初版)でふたたび学ぶようになった。藤田先生による sfkanbun パッケージによって LaTeX で漢文訓点を組めると知って以来,親しい漢文を自分でもタイプセットして面白がっている。旧字・旧仮名遣い変換ソフトウェア misima を作ったとき LaTeX 漢文訓点命令変換機能を入れたのも,Adobe Japan1 の恐るべき漢字空間(JIS X 0208 じゃ高校漢文教科書の漢字すらレパートリーが足りないのに対し,Adobe Japan1 ならカバーできてしまう)とこれに基づくヒラギノ OpenType フォントに魅了されただけではなく,ひとえに漢籍の組版にも思い入れがあったゆえである。

『漢文法基礎』は,「やあ,諸君,お早う」なる書き出しではじまり,よい意味で上から目線丸出しのくだけた語り口で,取っ付きにくい漢文を手取り足取り教えてくれる。書き下し文の仮名遣いや送り仮名の考え方など,学校ではきちんと整理してくれない原理のキモを徹底的に掘り下げてくれる。漢文学習は,中国の古典に親しむためではなく,日本の国語の一伝統を身につけることにこそその目的がある,との説明は説得力がある。かりがね点(レ点),一二点を押さえていれば訓点の九割方を身につけたも同然,といった知見も,教育現場の豊富な経験に裏打ちされており,眼を見張らさせるものがある。高校生にはお勧めの教材である。

『漢文法基礎』は,そうはいっても,やはり高校生が読むものであって,私などはただの懐かしさで接するばかりである。「ヲ・ニ・ト(鬼と)帰る」なんて「あったあった」である。こんな書物を講談社が何故にわざわざ文庫本として再刊するのか — やっぱり,昔を懐かしむオジン,オバン心情に訴えているとしか思われない。もう一度,高校生になった気分で高等学校漢文を復習したいと思う人には絶好の本である。大学教育を受けた人で中国古典を日本人として読み解きたいと思う人には,私は岩波全書『漢文入門』をお勧めする。

 
漢文入門 (岩波全書 233)
小川環樹,西田太一郎 共著
岩波書店