ナゾの中国人・匿名(トク・ミン)

私は奥村先生のサイト TeX Wiki にある TeX Forum の投稿を購読している。新たなポスティングがあるたびにメールが送られて来る。しかし,記事投稿者の名前に「匿 名」があまりに多いので辟易させられてもいるのである。ナゾの中国人・匿名(トク・ミン)が様々な議論に出没しているのである。こうなると誰が議論で意見を書いているのかまったくわからない。せめてニックネームでもよいから投稿者が判別できるようにしてもらえないものか。TeX Q & A ならニックネーム,実名が多く,トク・ミンにはほとんどお目にかかることはないので,優れた投稿をする人の記事を検索で抽出して閲覧することも容易いのに。

日本のネット事情は匿名が基本であって,ミクシィなどの SNS ですら匿名性が徹底していて,インターネットを通じた人間の繋がりが極めて希薄である。匿名であるから恥ずかしい意見・質問も平気で書き込まれる。2ちゃんねるはその最たる現象である。私は匿名ゆえに脅迫・中傷まがいの文言を平気で書き散らす2ちゃんねらーを見るたびに,通信技術に長けた国家権力からすれば容易に捕まえられるのにバカな奴ら!と哀れに思ってしまう。TeX Forum の投稿でもトク・ミンの書きっぷりは,質問も「教えてクン」流の,自分で調べることをしないタイプが多い。回答もそんな質問者を蔑んだ「キツイ」ものが多い。あるテーマについて質問者もその回答者もトク・ミンの場合があり,まったくアホらしくなってくる。「匿 名」の投稿は私はもう見ないことにしている。misima に関する問い合わせなどの私へのメールも,トク・ミンさんからのものは完全無視でゴミ箱行きにすることにしている。

一方,私も参加している米国の SNS Facebook は,参加者の多くが外国人である。ここでは写真入り・実名によるコミュニケーションが普通である。だから投稿にはきちんと礼儀や事実関係に注意しつつ応じなければならないという心構えも自然と付いて来る。そういう信頼関係のよさが Facebook にはある。ところが Facebook は,匿名が好きな日本人には不評らしい。外国人のほうがセキュリティに敏感だとされるのに,どうしてネットにおけるこういう極端な逆転現象が日本と海外では顕著なのか。これもガラパゴス化日本の特性かも知れない。

もちろん,個人情報を直接インターネット上に公開することは己を危険に晒す。住所や電話番号などの一般公開は出来る限り慎むのが常道である。でも,日本人はなぜ匿名が好きなのか。ネットの危険性に対するまっとうな防御感覚からだろうか? 本当の「名前」を知られることは危険な霊性を招くとして昔から名前を伏せる伝統が中国文化圏にはある。ネットの徹底した匿名性はこの伝統によるものなのか? いや,そんな文化人類学はいまの日本の2ちゃんねらーとは無縁であって,トク・ミンたちの戯言を見るに付け,ネットの匿名性はただの「旅の恥はかき捨て」心情でしかない,というのが私の確信である。ネットはまさにゴミダメと化している。インターネット選挙に私がいまのところ反対なのは,こんなネットのトク・ミンたちのゴミ意見が政策に大きな影響を与えて欲しくないからである。Twitter が意味をもちはじめたのはどこの誰が発信しているのかが明確だからなのに,日本での普及はトク・ミンたちのバカなつぶやきがほとんどではないか?