『スペシャル・ブレンド・ミステリー』

講談社文庫から出ている『スペシャル・ブレンド・ミステリー 謎004』(2009 年) を読んだ。001 東野圭吾,002 宮部みゆき,003 恩田陸とそれぞれ選者の違うシリーズの一冊である。日本推理作家協会が年一度編む短編ミステリーのベストアンソロジーから,京極夏彦によってさらに厳選された短編集ということで期待して手に取ったのだけど,たいていはびっくりするくらいつまらない作品群だった。実力ある作家たちばかりなのに... 京極夏彦はいいところを東野圭吾らに持って行かれたのか。

法水綸太郎『重ねて二つ』: 拵えものの典型。ギャグ小説といったほうが適切である。都筑道夫『マジック・ボックス』: 電話ボックスで被害者が銃弾に倒れたのに電話ボックスに弾痕がないのはどうしてか,なんてことのいったいどこに読者の興味を惹き付けるものがあるのか,さっぱりわからない。夏樹静子『暗い玄界灘に』: 「動機」・息切れってか? 松本清張『理外の理』: 江戸期の巷説逸話をネタにしているのは出色。だけど,ただそれだけ。山崎洋子『熱い闇』: 底の浅い芸術家気取りスケベ女教師の単なるショタ話。山田正紀『別荘の犬』: 老人の哀愁にはちょっと味があった。連城三紀彦『黒髪』: 「日本の伝統」を重装備した渡辺淳一のエロ爺・スケベ潭よりはマシだけど,そのミステリー的亜流に見えてしまうところが悲しい。どうせなら「薪能」のシーンでも添えて渡辺淳一をパロってくれればよかったのに。

とまあ,惨憺たるものだった。けれども,唯一,陳舜臣『宝蘭と二人の男』だけは私を幸せにしてくれた。これだけでも本書を読んでよかったと思わせてくれた。

『宝蘭と二人の男』は,昭和初年,神戸三ノ宮の穴門裏・芸姐間(ゲエトアキン:中国芸者屋)を舞台に,中国から売り飛ばされて来た芸妓・林宝蘭(リン・ホウラン)とその二人の中国人旦那の物語である。実際の三ノ宮の昭和初期の考証的記述から語り出される。「父の思い出」を再話するといういわくでもって,そこからスッと芸姐間の物語に入って行くその語り口。いきなり幻想的世界に入り込んだわくわく感。中国人芸妓という知られざる歴史をもつ往時の神戸の非日常性,伝奇性が堪らない。

人身売買で物心付いたときから奴隷の身だった宝蘭は,幼いころからまるで「自由」というものがなかった奴隷の境遇ゆえか,それでも裕福な主人の元で衣食住には足りる日常であったゆえか,主人に手込めにされようがまったく頓着しない(性の奴隷ぶりを大らかに描くことのできる陳舜臣の凄さよ),無欲で屈託のない,しかし結局「自由」にはなれない悲劇的性格に育つ。そんな逆説がリアリティを持つくらい陳の筆致は見事である —「借金を返しても,宝蘭が自営の営業をつづけたのはいうまでもない。彼女にはなんの不服もなかった。なにをしてもよい,という状態を考えただけで,彼女はそらおそろしくなるのだった。自前になっても,なんとなく束縛されているかんじの,穴門裏の生活が,彼女にはふさわしかったのである」(p. 272)。一番人気の芸妓だった彼女に,二人の中国人の旦那が付く。あるとき,二人は同時に死んでしまう。これ以上はぜひお読みになってください。その事件の謎と,日本・中国の過酷な時代背景,主人公の視点との同期・ズレが哀愁を帯びて美しい。

この作品を読んで,私は日影丈吉の傑作『応家の人々』を思い出した。中国人・主人公の魅力が発散する幻想と,暗黒時代の過酷な政治背景とが醸し出すロマン。私にとって堪えられない伝奇的ミステリーの属性なんである。