W 杯開幕

W, W 杯が,か,かいまくしますた!

南アフリカ VS メキシコは見応えがあった。完全格上のメキシコチームに対して開催国南アチームは,なかなかボール支配ができずいつ失点してもおかしくないガマンの時間帯が多かったが,しぶとく守り,ボールを奪ったわずかの好機をものにして勝ち点 1 を獲得した。

「善戦」とはこういう闘いの謂いであって,「敗北には善戦もクソもない」ことがわからない甘い人の多さに呆れていたところであったので,いよいよ外国人チームの闘争心というものに敬意を抱いてしまった。日本もこういう試合をしてほしい。まあ,あのメンタルでは無理だろうな。でも,たった 1 ゴールで世の中が変わるのも,サッカーの過去の歴史が証明している。日本サポーターも諦めるのはまだ早過ぎ。

今夜は B 組の韓国 VS ギリシャ戦がある。韓国は確か「ベスト 16」を目標に掲げていたと思う。けれども予選で上り調子に乗れば,もっと上を目指せる組織的チームである。どこかの国の,何の計算もない,独り善がりの責任感にのみ立った,「無邪気な」目標「ベスト 4」とは,ことばの重みが違う。それは「格」の違いに依って来るものである。そう,「格」が違う。

「ベスト 4」を掲げる日本は,世界中の失笑を買っている — これは,岡田さん個人が世界を畏れない身の程知らずであるというよりはむしろ,日本の国民性の問題であろう。なんとも,竹槍で米国と戦おう,一億玉砕だなどと囃し立てて,やっぱりやめてしまった歴史を持つ国なのである。ことほど左様に,世界の誰も日本人の「ことば」を信用しないのは,いまにはじまったことではない。国連では,日本の主張はなかなか通らない。

南アフリカの試合を観て,FIFA 世界ランキングにまったく現実感がないことがよくわかった。日本は 45 位,南アは 84 位,韓国は 47 位。ここにはサッカーの実力とは無関係のインプレッション(例えば FIFA への献金の額とか?)が反映しているに違いない。国連では,日本の存在感は払っているお金だけで成り立っている。

わぁ,あと二日で日本の試合が観られる! 今夜は韓国を応援するぞ!

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今回の W 杯開催地・南アフリカも,日本を基準にすれば,地球の裏側であって,主として夜中に試合がある。2002 年日韓 W 杯のときは,試合が昼間だったこと,日本代表への期待が凄まじかったことで,日本チームの試合がある日は仕事にならなかった。初戦のベルギー戦では,気になって仕方がない者がこっそりポータブルテレビを盗み見しているのを,笑って見て見ぬ振りをしていたが,次の土曜日,日本がロシアから金星を上げ日本全国がフィーバーとなったおかげで,第三戦チュニジア戦は,職場は意を決して,皆で大きなテレビで観戦しようということになった。事業部本部ビルでは,食堂に何台も設置された自社製最大画面のプラズマテレビを前に,何(百)人が大騒ぎしただろうか。私も顧客先の SE 室で,担当者,顧客といっしょに仕事を放擲して,わいわい応援したものである。あの雰囲気は悪くなかった。

いまや日本代表への期待は,この景気と同じく,最低にまで堕ちた観がある。けれども,初戦の結果ではまた大騒ぎがはじまるだろう。南アフリカまで応援に行く熱心な日本サポーターもたくさんいる。私の会社にも,98 年フランス大会以来,W 杯での日本戦をすべてスタジアムで観て来た奴が何人もいて,今回の南アフリカも例外ではない。南アフリカの治安の酷さはつとに騒がれている。開幕一週間前くらいから,総務部が南アフリカのリスク対策情報を Web だけでなくメールでも発信するようになった。「公共の交通機関は絶対に利用するな」とか,「出入りタクシーをホテルに呼んでもらいそれで移動せよ,その際,必ず事前に運賃を運転手に確認しておけ」とか,「なにかトラブルを目撃したら,一も二もなくすぐにその場から離れよ」とか,事細かな指南が書かれてあった。とくに最後のものには笑ってしまった。

W 杯の期間は,参院選の選挙運動と完全に重なる。日本が惨敗するとなると,「やっぱり海外は元気でいいなあ」などという,指を銜えた子供のような気分で投票日を迎えるはずである。その影響やいかに。