皆川博子『伯林蠟人形館』

皆川博子は『トマト・ゲーム』,『死の泉』以来,そのちょっと異常な耽美趣味で,私の愛するミステリ小説家の一人である。2006 年刊行の作品『伯林蠟人形館』を楽しんだ。

この作品は独特な構成を持つ。6 人の登場人物それぞれの視点に基づいた,題名を冠した短編小説と,その「作者略歴」とから成る二元構成になっている。時間には二つの概念があると言われる。クロノス(順次流れてゆく時間)とカイロス(決定的な何かの意味を持つ事件としての時間)である。この作品の二元構成は,題名で象徴化されたカイロスと,記述的なクロノスとを,あたかも並置しているかのようである。幻想的な想像力が肥大した短編部と,史的背景・人物素描による「略歴」部とが,相互に補完し合うかのように,1920 年代ドイツの混乱期における人間精神の爛熟を,冷たく麗しく立ち昇らせる。こういう歴史小説もあるものだと感銘を受けた。

ドイツ近現代史をよく知らない私のような読者は,ナチスの台頭して来る時代の一つの論理を,本書で知ることになると思う。第一次大戦敗戦による王政の崩壊。多額の賠償金と激越なインフレによって貧困層が拡大する格差社会。キャバレットで裸身で踊る女たち。貧窮と享楽の雑居と化すベルリン。戦後も収奪をやめないフランス軍・東方から侵入する共産主義陣営と,愛国的保守陣営との戦闘・内乱。愛国的機運の高揚。頻発するテロ。「勝ち組」資本家と共産主義双方を主導するユダヤ人への憎悪。そこから,戦闘的保守党派としてナチスが大いなる期待を担って「負け組」貧困者を吸収してゆく。その過程がよく理解できるのである。ドイツ人がナチスに心酔したのはこのような差し迫った論理の結果であって,決して「騙された」わけではないのだ。80 歳になろうとする作者がいまこの時代のドイツを描こうとする理由が,私にはわかるような気がする。どこか現代に通ずるものを感じるのである。

「すべての物語を書き終えた者には,自殺の特権を与えよう」(p. 24)— これは作品のキーセンテンスである。自殺が選ばれた者の生の最終選択となる時代。シュテファン・ゲオルゲやゲオルク・トラークルの詩の挿入が,Weltschmerz (世界苦) に覆われた美的精神で作品を彩っている。そういう時代思潮の巧みな物語化とともに,熱帯植物園での麻薬による幻覚,沼に沈められた太古の少女の骸,蠟人形へのフェティシズム等々,クラシックな頽廃趣味が堪らない。