高橋克彦恐怖小説集

講談社文庫から高橋克彦の自選短編集が何冊か出た。高橋克彦は,『写楽殺人事件』,『北斎殺人事件』以来,日影丈吉,中井英夫,夢野久作,小栗虫太郎,江戸川乱歩,久生十蘭,横溝正史と並んで,日本のミステリー作家のなかでもとくに私の贔屓にしているひとりである。そして恐怖小説の質の点では,これら作家のなかでもベストといってよい。

自選ということもあり,収録作品はいずれも甲乙つけがたい佳品である。『ゆきどまり』,『ねじれた記憶』,『母の死んだ家』,『うたがい』,『寝るなの座敷』,『私の骨』... 私の偏愛からすれば,いわゆるホラー小説とは違って,高橋の恐怖小説はおぞましさ・グロテスクではなく,恋愛小説の土俗的歪みにこそその本領がある。東北のどこか荒唐無稽にすらみえる怪異伝説に,母性的存在への近親相姦じみた思慕や,記憶・人間意識そのものの踏み外し・裏返しやを絡めて,ドロドロした情念を描く。歪んでいる。けれどもめちゃくちゃ甘美なんである。こういう短編を読んでいる時がいちばん私は仕合わせである。

『寝るなの座敷』には座敷童子(ざしきわらし)の話が出て来る。

不意に背中から声がかかった。振り向くとおかっぱ頭の六,七歳の少女がスケッチブックを覗きこんでいた。[ ... ] 黒い利発そうな瞳に生気が溢れている。赤いスカートから伸びた細い膝頭には擦ったかさぶたもあった。頬っぺたの赤い元気そうな子だ。
『高橋克彦自選短編集 2 恐怖小説編』講談社,2009,p. 448. 下線は私。

これは,洟垂れ小僧や頬の赤い子供が最近どうしていなくなってしまったのかとの不審感を抱かない者には,絶対に引っ掛からない描写である。つまり「わかる人にはわかる」描写 — 高橋の唸らせる手法のひとつ。こういう白昼のさりげない筆致はあとで思い出して怖くなる。この子は主人公が宿泊する旧家の座敷童子だった。主人公はその「寝るなの座敷」で怪異に遭遇するが,座敷様の眼に叶い,美しい娘の婿として認知される。

私の妻は岩手県和賀の生まれである。ある年の冬,彼女の実家をはじめて訪れた寒い夜,私は立派な丹前を宛ってもらい,妻の祖母と炬燵で世間話をした。私は無遠慮にも手酌でひとり麦酒を呑んでいた。そのあと寝間でぼっとしていると,妻が部屋に入って来た。私には,そのときの彼女がおかっぱ頭の頬の赤い子供のように見えた。と同時に,私の着た丹前の右肩に巨大な亀虫が止っているのにふと気づいた。その悪臭をなぜか私は,心置きなく味わうように目を閉じて深く吸い込んだ。翌日,妻の両親に「娘さんをください」と申し入れた。あとで妻から聞いたところによれば,祖母 — もう亡くなって二十年近くになる — が私を一目見て太鼓判を押してくれたので,妻の両親はなにも言うことがなかったそうである。

昨日の夜中の三時ごろ,『寝るなの座敷』を読み終わり便所で煙草を吸っていたら,突然,その北上の夜の記憶がありありと甦って来た。私は了解した — あれは妻ではなく座敷童子,あの部屋は『寝るなの座敷』だったのだ。ベッドでは妻が静かに眠っていた。私は布団に潜り込みながら,「さっきトイレで座敷童子に逢っちゃったよ」と冗談混じりに囁いた。すると妻は「その子,消えていなくなっちゃったんじゃないよね?」と,背を向けたままはっきりと応えてまた静かになった。私は本当に怖くなった。

座敷童子がいなくなるとその家は不幸になるそうである。