郵政民営化法案凍結

臨時国会で郵政株式売却凍結の法案が可決された。郵政民営化が国政によって否定されたわけである。

郵政民営化は,ゆうちょの莫大な資産を,海外投資家含め,自由に運用できる道筋を開いたことで,まかり間違えば日本国民の資産運用の富が海外の資本家に収奪される構造をも生み出しかねない政策ともいえた。でも,この最悪のシナリオを除けば,私は郵政民営化に基本的には賛成だったので,今回の法案には賛成しかねる部分がある。郵政民営化反対意見の主な根拠は,営業利益の望めないような過疎化傾向の地方から郵便局が消え,地域格差が助長される,という点にある。でも,それは地方自治体の解決すべき課題であって,指摘されるような事態は,かつて国鉄が分割・民営化されたとき,赤字ローカル線が廃止された構造とまったく同じである。国鉄の民営化がサービスの向上に測り知れない原動力となったことは,いまや誰しも認めるはずである。基本的に国家事業の民営化は国民にとってプラスに働くと私は信じている。「あったかい郵便局が村から消えるのは許されない」— 何をセンチメンタルなこと言っているのか。ならば地方自治体に「あったかい郵便局」に代わる何かを運営させればよいのだ。国鉄民営化後,廃止された赤字ローカル線に代わって,バス路線ができたように。

昔の国鉄の酷さ,職員の傲慢を知る人は中年以上の世代になってしまった。国労・動労(労働団結権の認められなかった国鉄職員の非合法労働組合 —「労働者」なんだから当然という理屈でできた組織)の遵法闘争によって朝の通勤ダイヤがむちゃくちゃになり,怒った通勤サラリーマンが駅で暴動を起こし,駅舎や車両を破壊する事件があった,なんていまの若者には信じられないと思う。これは,国家権力をカサに着た公務員が自己中心的な左翼闘争をやるとロクなことがないという歴史のひとコマである。世知辛い世の中の風にモロに晒されている国民からボコされて終わり,という喜劇である。ことほど左様に常日頃から国鉄職員にガマンならなかった人が多かったわけだ。

私も国鉄の時代に国鉄職員に対して虫酸が走る思いをした多くの一般人のうちのひとりである。私は学生時代,国鉄の累積赤字が大問題になり郵政事業と同様に民営化問題が大騒ぎだったころ,帰省のため札幌駅「みどりの窓口」で切符を予約したことがある。学生割引について中年担当駅員に問い合わせたところ,その駅員の曰く,「いまこの赤字まみれの国鉄にアンタ,割引をしろってか?」。「このゲス公務員野郎,民営化された暁には覚えてやがれ」と私は怒り心頭に発したものである。もうそれ以降,国鉄主体で帰省することをやめ,安価な小樽ー敦賀フェリー航路を使うようになった。このオヤジ,その後,清算事業団を経てどういう運命を辿ったのか,私は少し興味がある。私の記憶のなかにいる国鉄職員は「サービスを受ける奴らはゴマンといるのにサービスを提供するオレはひとりしかいないのだから文句言うな」テキ傲慢が抜けない。彼らの業務目的の中心には顧客ではなく親方日の丸・組織と自己保身がある。そのくせ,一般企業のサラリーマンがとても望めない高い退職金,高い年金を貰える身分にある。まあ,こんなことを言ういまの私には,世の経済情勢の直撃を食らうしがないサラリーマンのやっかみもある。

現在の JR 職員にこのようなかつての国鉄公務員のガサツに出会うことは絶対にないと断言できる(いまつとに騒がれている,JR 西日本の隠蔽工作は,国鉄体質旧態依然の幹部職員のなせるわざだと私は思っている。だからギリギリ虐めてやればよいのだ)。郵便局員が,この社会人らしからぬオヤジのようなガサツを発揮しているのを,私は経験したことはない。けれども,小泉政権下で民営化が決まったあと,郵便事業のサービスがかつてないほど改善したのは,ゆうパックなど数え上げればきりがないくらいである。郵政を民営化し,クロネコヤマトや民間生保・銀行・金融機関と同じ条件でしのぎを削らせたほうが,サービスの質が上がって国民にとってよいに決まっている。私は社会保険庁すら民営化すべきだと思っているくらいである。