今日,妻が中学三年になる娘を連れて,学校先生との面談に行って来た。高校受験を間近に控え,進路がテーマとなるはずであった。「頑張ってね」と言われたそうである。予想通り!
学校の先生はたいへんである。最近いじめの問題への対処やら体罰の厳禁やらで先生の行動には制約があまりに多い。私のような中年世代以上は,言うことを聞かない子供に対し,先生がその権威と良識に照らして,鉄拳を振るって大人しくさせるのを,当然のようにとは言わないまでも,致し方ないと思っているはずである。私も,中学時代,先生に何度殴られたことか。英和辞書を忘れたくらいで廊下に立たされ,あるいはグラウンド5周などと命じられたものである。でも,当時頭にこそ来たがなんの禍根も残さなかったし,いまもあれは問題だったとも思われない。が,最近はモンスター・ペアレントなどという言葉も定着しているとおり,先生は世間からの反動を極度に怖れ,体罰はおろか,生徒の心を傷つけるいかなる言動も慎むようになっている。子供たちをサービス顧客として扱う気持ちがどこかにあるようである。鬱病になり辞職する先生が増えているそうである。不憫極まりない。時代が変わったのである(ただし,高校の運動部だけは別のようである。息子はヘタクソなプレーをして,顧問の先生に何度も殴られている。軍隊式指導により上下関係の尊重が徹底している。教育はそれでよいのである)。
このような当たり障りのない教育のおかげで,受験指導も「本人の自己責任」の風潮が強い。先生は「頑張ってね」としか言わない。私の中学生のころは,進路希望について高望みしている場合,「お前の成績でそのレベルの高校なんて行けるわけないやろ,アホ! ココにしとかんかい!」とハッキリ言われたものである。でもそのキツい言動は,職員会議でひとりひとりの成績を職員達が議論し,進路の妥当性を見極めたうえでなされたものだったのである。私たちの世代は人数も多く,私の中学校は 40 人のクラスが 1 学年に 10 クラスあった。それでもひとりひとりやってくれたのである。娘の学校は,少子化の影響でたった 3 クラスしかないが,このようなひとりひとりの進路希望の妥当性を会議でギリギリやってくれているのだろうか? 否,「頑張ってね」には,そのような差し迫った判断と責任感のかけらも感じられない。なにも先生の「提言」に「責任」を追及しようなどとは,「おせっかいはやめてくれ」などとは,私は考えもしない。ただ,教育者として「判断」してほしいのである! どうして生徒の行く末についてここまで他人事になってしまったのか。残念でならない。