予算シーリングにおいて「事業仕分け」がたいそうな話題。これまで官僚が奥の院で拵えていた予算編成の大振るいを民主党政治家の息のかかった仕分け担当者が,しかも公開形式で行うというものだから,これこそ前代未聞の「政治家主導」の象徴である。私もテレビで,仕分け側が省庁の担当者の説明に対し,キツイ口調で査定しているのを見た。
この光景は,まるで虐めをしているかのように,ある人には見えるようである。刑事が被疑者に対するがごとくとでもいうような(今日の朝日の夕刊の「素粒子」)。でも,一般企業の予算策定の現場でも,担当者が幹部に説明をする予算審議会風景は,まさにこれと同じであって,私などからすれば,おお,国政でもウチの会社と同じような喧々諤々の予算論議をやるわけか,と思いこそすれ,虐めにはまったく思われない。業者のことなど徹底的に蔑んでいる顧客との営業折衝などと比べたら,「事業仕分け」のやりとりはむしろ紳士的なくらいである。プレゼンテーションの悪い役人は予算が獲得できず,それこそ予算を取るのが仕事である役人として無意味な存在に貶められるわけである。
「事業仕分け」の意義はこの喧々諤々の面白さのみならず,それが公開の場でなされることにあると思う。このように予算策定の過程が国民に見える形にする,ということは今までにない試みである。そう,官僚の予算立案をそのまま国民に知らしめることこそ,政治主導以上の国民主導を形成するよい工夫ではないだろうか。
「テレビXXが選ぶ意味不明予算項目ワーストスリー!」とかいうような,テレビ局による悪ノリ特集番組を,省庁の担当部署名入りで放映なんかしてくれたら,最高に面白いと思うんだけど。でも,そんなことテレビ局がやるわけがない。なぜなら,これまでの官僚への従属は,政治家以上にマスコミこそがその張本人だからである。霞ヶ関の構造を叩く悪口を書くと,トップシークレットを握る官僚がニュースのネタを流してくれなくなり,マスコミ(大新聞社・テレビ局)にとっては死活問題になる。だから「ある経済産業省の幹部によれば」とかなんとかの触れ込みで,官僚によるただのリークをさも自らの取材力のおかげであるかのように見せかけて,霞ヶ関の言うとおりに記事を書くわけである。こうして,意見の微妙な左右の違いはあれ,どのマスコミ報道もすべて同じ・画一的になる。これこそ自由主義・民主主義国家において素晴らしい統制を実現する仕掛けである。小沢元民主党代表の秘書逮捕騒ぎが突然静かになったり,普天間の問題が民主党政権になっていきなり大問題として浮上したり,チョー気味が悪い。