清沢洌『暗黒日記』,サラリーマンの独言

今日から3連休。なにもやることがない。午まで寝んねして,ぼけっとしてます。戦前の自由主義的ジャーナリスト・清沢洌の『暗黒日記』を読んでいる。精神論と暴力で国を仕切る頭の悪い(つまり世界情勢・現実を見ようとしない)軍人,鬼畜米英一色の報復に燃える国民,軍国主義に追従する曲学阿世の知識人・マスコミ。本書は,そのなかで米国の実情を知る憂国者として,特高の摘発を恐れながらも「現代史」のために世情をしるした記録である。

予日記をつけつつありというと,嶋中君危ないぞという。[ ... ] ただ予の場合は「現代史」を後日,書くために記録を止め置かんとするに過ぎず。
清沢洌『暗黒日記』岩波書店,1990 年,p. 71.

戦争に突入してしまうと,勝つことがなによりも重要になるわけで,彼が日記で批判している国民のバカさ加減はいまの私たちが一笑に付すことのできる性質のものではない。ましてや,当時の軍国主義的国家権力による暴力に対し個人は無力だった。それでも,どうしようもないいま眼の前のこの現実のためではなく,「現代史」,歴史のために記録する,という清沢の姿が心を打つ。自分が歴史に関与しているという責任感が凄い。行動において自己の無力を自覚したとき,「記録」という営みによって時代との関わりを果たす手段もある。
 

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Yahoo! ニュースで,大阪府の橋下知事が職員の失礼な態度に怒ってその職員を処分したという記事を読んだ。「会見で橋下知事は,トップへの態度に問題のある職員が『100人ぐらいはいる』と指摘。知事を『お前』呼ばわりする職員がいる」とあるので,この処分された女性職員が特別なのではないらしい。まったく公務員(「地方公務員」というのが正しい)という人達はお気楽なものだと感心してしまった。普通のサラリーマンである私には信じられない。こんな人達を税金で食わしているのか...。

知事は自治体行政のトップであり,普通の会社なら社長,軍隊なら総司令官であって,その自治体の公務員は彼の意思を実現する組織構成員であるわけだから,構成員がトップに対しそれに応じた礼節・敬意をもって接するのが当たり前ではないか。この処分された女性公務員はどうもそういう基本的組織構造を気にもしない人らしく,橋下知事を自分の属する組織の長としてではなく,タレント,芸能人と同列に,普通名詞の「政治家」とみなしていたようである。私がこのバカブログで政治家を愚弄するような無責任な駄文を書いているのとまさに同じように。私にとって政治家とは税金を払って活動してもらっている存在であるわけで,私のこんなバカ・たわ言もその活動への「批判」として許されるのである。それに対し,政治家を組織長とする公務員による同じ行動は風紀紊乱・服務規律違反でしかない。税金で養われている公務員は,選挙で選ばれた政治家の目標実現のために法律に従って仕事をすべきなのだ。政治家を「批判」するならすればよい。しかし,この公務員の「愚痴はご自身のブログ等で行ってください」というのは,「批判」にもなっていないただの「不敬」であって,組織の構成員としての自覚のなさを示すに過ぎない。それこそ匿名ブログでやっておればよいようなものである。軍隊なら軍法会議において風紀紊乱でどんな処罰が下るか知れない(目隠しをされ壁の前に立たされるに違いない)。

サラリーマンは査定する上長,人事権をもつ管理職の言うことしか聞かない。査定権をもたない人の言うことを聞いてなにになる。忙しいのだ。でもこれはあらゆる組織に共通の原理である。ここではトップダウンの連鎖によって組織が機能する。この際,上長命令を絶対視する軍隊式がもっとも機能する。

公務員,官僚が政治家を軽んずるのは,政治家に人事権・査定権がないからである。私が知事で人事権をもっていれば,法律に照らして根拠を見いだした上でこいつをクビにするだろう。一罰百戒。なのに,日本では政治家が公務員の人事を掌握できたためしがない。だから官僚が国益よりもむしろ自身の出世と自己の所属する組織のためだけに奔走する「官僚的」お役人になるのである。民主党の脱官僚のスローガンがおそらくうまく行かないだろうと思われるその根本原因もここにある。

でも,政治家が人事権を乱用できるようになると独裁が生まれやすくなる。難しい。