『日経コン』動かないコンピュータ

日経 BP 社刊『日経コンピュータ』2009 年 8 月 19 日号『動かないコンピュータ』に『“野心的な”システム構想が頓挫133億円投じるも稼働のメド立たず』と題して,特許庁最適化システムが採り上げられた。日経の『動かないコンピュータ』は情報システムに携わる者にとって恐怖のコーナーである。ここで採り上げられるようなことは絶対にあってはならないと,私も先輩から言われ言われしたものである。それほど「恥」なわけ。どこからどう取材してくるのか,日経の記者は結構本質を突いた記事を書く。

特許庁事務処理システム再構築の調達を,東芝が予定価格の 6 割で落札した。ところが東芝にはノウハウがなく設計がまるで進まない。プロジェクトマネジメントを委託された業者アクセンチュアも工程責任を負うわけではない(ならなんのためにいるんだ?)。結局,特許庁は両者との契約金額 133 億を無駄に投じて逡巡している。記事はそのようなものだった。2006 年末に開始した基本設計がいまだに終わらず,稼働のメドがたっていない。「知的財産立国を目指す国家戦略にも影響を及ぼしかねない。国益にかかわる問題だ」との識者の憂いを引用していた。

官庁の事務処理は複雑怪奇であって,親方日の丸の責任のもとに,受託業者は社運を賭けて取り組む。官僚は 2, 3 年で人事異動するのが当たり前なので,業者は客よりも業務を熟知する気合いで担当者を投入し育成する。そこには当然企業として収益への指向があるわけだが,それ以上に国政を支える企業としての面子をもって,赤字覚悟でシステム稼働に取り組みノウハウを蓄積しようとする。この過程でハードウェア,ソフトウェア品質・性能を格段に向上させ,自社製品の競争力を高める意図もある。システムの設計・構築はビルを建築するのとは根本的に異なる「人間臭い」難しさがある。発注者が完全な仕様を提示するなんてことは,私の経験では,まずありえない。提示仕様の通り作って動かしてOKなんてことは絶対になく,非機能要件がヤマほど出て来て,業者が稼働責任を負う以上,初期構築は大赤字になるのが常である。だからひと昔前はシステムを初期構築した業者が随意契約で再構築を請け負うのが普通だったと思う。それによって業者も初期構築の大赤字を少しずつ回収するのである。そんなこんなで,官庁の大規模システムは資金的体力のある IT ゼネコンしか請け負えないしろものなのである。

しかし,近年,規制緩和により WTO 公開入札が義務付けられた。業者との不正な癒着を廃し,競争原理による適正価格で調達を行うことが,人間臭いシステム建設でも当たり前になった。そのあおりで,既存の業者が周到に見積もった再構築価格を大幅に下回る戦略価格で,業務を何も知らない野心的新参業者が落札する。これがよくある話になった。そしてたいてい火を噴く。そうして,税金が無駄に消えて行く。担当者は心を病み,自殺者が出ることもある。一将功成りて万骨枯る。プロジェクト X。フェアを是とする以上,その構造は免れない。しようがない。税金の無駄遣いよりも,不幸なサラリーマンを生み出すよりも,フェアを重視する — ご立派ではないか。官製談合とやらがまかり通る背景にもなっている。技術点の低い大安値業者に落札した時点で,特許庁の失敗はうすうす予想できたことではないだろうか。

日本は特許出願数において世界トップレベルにある。特許行政についても,米国 USPTO,欧州 EPO に対し三極の一角をなす,超大国である。特許庁はその自負と使命感のもと日本の技術立国を立派に支える極めて戦略的な官庁である。おそらく,外務省,防衛省以上に対外的センス,国際競争への意識が高い。よく働く。この不名誉な記事を糧として,なんとか立て直しを図ってほしい。国民の目線からすれば,東芝もどれだけ赤字になろうと約束したことは果たすべきだし,それくらいの企業体力はあるはずである(半導体事業の失敗,新型 DVD での敗北と,最近よい話がまったく聞こえて来ないのだが)。