妻・札幌に出張,北園克衛詩に関するメール

出版社に勤めている妻が珍しく出張。イベントを札幌でやるらしい。札幌は,私も妻も学生時代を過ごした土地。1日余計に遊んで来ることに。それで,私はやかましい子供たちと3人で日曜日まで過ごすわけである。

夜,店屋物の中華を3人で食いながら,テレ朝の『ミュージックステーション』を観る。私は JPOP にそれほど関心がない(むしろ嫌いである)。Perfume が出て来て,子供たちは熱心に観ている。初音ミク以上にロボット風のボーカルが特徴の,テクノな,個性的な3人組の娘たち。よくこんな声が出せるものだと感心。「学校にアーチャンのファンがいるの,筋金はいってんの。なんでノッチじゃないのかな」と娘が言う。「アーチャン?」—「真ん中で歌ってるゴリラみたいな顔した子」—「ひでー,お父さんにはそうは見えんけど。睫毛も煙る魅力的な目をした女の子じゃないか!」。そのあと,これこそゴリラともいうべき,矢島美容室なる,とんねるずユニットが登場して来て,メシがまずくなった。

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詩人・翻訳家だというロシア人からメールを受け取った。北園克衛の詩をロシア語に翻訳したのだが,原文と比べておかしな点がないか,意見がほしいとの相談だった。もっと適任者がいそうな気がするけれども,彼は,私の Web サイトで Кацуэ Китасоно の名前を見いだして,ロシア語と北園克衛との論理積条件に適合した唯一の人物として,私を買いかぶったようである。

『煙の直線』,『BLUE』からの数編のロシア語訳。日本の現代詩を楽しもうという外国人がいるとは想像もしていなかったが,興味深いことには違いない。John Solt 氏の手になる英語訳をベースに各国語に翻訳するプロジェクトが進行中らしい。ロシア語訳も重訳である。ざっと見たところ,少なくともとんちんかんな翻訳ではなかった。北園の前衛詩はリアルからの遁走であって,ある意味「誤訳」なんてありえない性質だともいえるから,私はじつはあんまりロシア語の問題についてぐだぐだ言うつもりはないし,もとより,その資格もない。そういうことで,気の付いた点を書き送ってあげるだけにしようと思っている。