昨日は太宰治の桜桃忌だった。6 月 19 日は,1948 年に心中した彼と愛人の遺体が発見された日であり,彼の誕生日でもある。今年は太宰治生誕百年を記念する年であり,例年にも増して桜桃忌,彼の文学遺産が話題になったようである。
太宰治という作家は,本が売れない現代においても,根強いファンを生み出し,愛読され続けている稀有の存在ではないだろうか。私も,高校時代,『津軽』にはじまって,『人間失格』,『斜陽』の長編,『晩年』,『ヴィヨンの妻』,『走れメロス』,『お伽草子』などの短篇を読んだものである。妻も彼の愛読者であり,青森県五所川原にある彼の生家・斜陽館がまだ旅館経営をしていたころに宿泊見学をしたほどである。
彼の作風・文体はかなりくせの強いものである。独特のなれなれしさがあり,弱さがあり,気取りがあり,優しさがあり,恐るべき文学的教養があり,近代人に相応しい毒がある。一読してすぐ彼の文章だとわかる個性をもっている。無頼の私生活,実人生と作品世界とを一致させるかのような半生ばかりが特筆されることもしばしばである。
そのせいか,熱烈なファンとともに徹底的否定論者も多い。三島由紀夫が彼を嫌っていたのは有名な話。私は,その文体に鼻持ちならない要素を時おり感じながらも,太宰を日本文学史における第一級の作家であると認める。彼の実人生を抜きにして素直に作品を読めば,文体というものがいかに身振りをするものか,遠くへ逃げたり近づいて笑いかけたりするものか,驚いてしまう。虜になってしまうのである。
文学史的価値は別として,個人的には,中期から晩年にかけての短篇が好きである。『新ハムレット』,『女の決闘』,『古典風』,『乞食学生』,『トカトントン』,『グッド・バイ』など,古典・歴史に取材し優れた批評精神に裏付けられた知的作品,ペーソスと軽妙・洒脱・ユーモアとに満ちた人情ものが大好きである。
『グッド・バイ』が未完に終わったのは,惜しい。昔の女ひとりひとりに別れを告げて彷徨するなんて,なんとファンタスティックなことか。太宰治は西鶴の正統なのである。