千鳥ヶ淵・靖國神社の観桜散歩

今日,妻と,花見をしつつウォーキングをした。朝,もう三月末なのにやたらと寒い曇り空で,少し面倒くさかったが家を出た。東京駅から皇居,北の丸公園,千鳥ヶ淵,靖國神社,神保町古書店街までの道のり。

東京駅舎も,再開発に際して保存要望でもめている,モダニズム建築・東京中央郵便局も,建築の足場とテントに覆われて普請中であった。東京駅中央口から伸びている大きな道を皇居めがけて出発した。

皇居正門,二重橋に行ってみた。観光客のドイツ語,中国語,韓国語,英語が飛び交っていた。それから内堀通り,皇居に沿って竹橋に。桔梗門のあたりに白い枝垂れ桜が咲いていた。毎日新聞社ビルの喫茶店でコーヒーを飲んで一服。

北の丸公園。武道館も改築中で,あの屋根のネギ坊主が覆いで見えなかった。田安門を潜って千鳥ヶ淵に出た。ちょうど天気がよくなってきた。堀に沿う豪華な桜はまだ二分咲きのほどで,却って控えめで清々しい趣きがあった。お掘の水面を恋人たち,親子連れのボートがゆっくり滑っていた。

千鳥ヶ淵戦没者墓苑で献花し,黙祷した。二代の御製,鎮魂の二首の碑に見入った。いまも若い篤志ボランティアがかつての戦跡に赴き,戦没者の遺骨を収集しているのだそうである。

引き続き,靖國神社を参拝した。英霊よ,安らかに。この平和が続きますように。私は戦争が大嫌いであり,最近の右傾化した若者や好戦的世論に嫌悪を覚える。けれども,戦争で亡くなった兵士を慰霊するのはごく自然なことだと思う。

靖國神社は今年建立 140 周年という。『靖國神社崇敬奉賛会十年の歩み』というパンフレットを貰って来た。小林よしのりも寄稿していたが,そこでも「わし」と書いているのに笑ってしまった。この会の現会長・元国会議員の扇千景は,パンフレットに掲載された対談のなかで,「現在の日本の原点,存立の原点が靖國神社にある」と言っている。安全保障が国家の大事であることは疑いもないが,だから靖國神社が日本の「原点」とまで強調するのはどうかと思う。「国」に国家を見て,国民を見ていないのではないか。国民の営みはなにより仕事をし,子供を育て,幸福になることであって,戦うことと第一義的には結びつかないはずである。その営みを通して国家の力が高められるはずである。なにか順序を違えていないか? まあいいや。英霊は尊い。

靖國神社参道は休日の花見客で溢れ,たくさんの露店が犇めき,たいへんな賑わいだった。花より団子。地方の舞踊集団による余興が華やかであり,岩手県の鬼剣舞を観ることが出来た。妻は感心していた。露店で鮎の塩焼きとたこ焼きを買い食いした。

遊就館も覗いてみた。展示物・零式戦闘機の胴体に三菱製との印字を見つけ,三菱はこんなこともやっていたのかと興味を覚えた。でも,戦没した軍属の御霊をお祀りするこの社に,遊就館のような軍国主義的モニュメントがなぜ必要なのか,私にはまったく理解できない。土産品の売店の一角に,憂国の士・田母神俊雄氏の特設コーナーがあった。『自らの身は顧みず』などの著書・講演 DVD がズラリと並んでいた。あのXXな論文でアパホテル一等室,いや一等賞を受け,日本軍人の知的レベル(軍事機密といってもよいなにか)を全世界に知らしめたこの元航空幕僚長は,ココでは当然のごとく英雄なんである。ミリタリズムの臭気にいよいよ耐えきれなくなって来たので,遊就館を出た。

靖國神社の鳥居を出て九段坂を下り,靖國通りを歩いて十五分ほどで神保町の交差点に到着した。たくさんの古書店が歩道でワゴンセールをしていた。永井荷風『摘録 断腸亭日乗(上・下)』(岩波文庫, 1987),小松茂美『かな』(岩波新書, 1968),中村光夫『日本の近代小説』(岩波新書, 1954),『新潮日本古典集成 世阿弥芸術論集』(新潮社, 1976)を購入。5 冊で千円也。ロシアの CD を輸入・販売していたレコード屋が消滅していて悲しかった。小宮山書店で三島由紀夫関連の展示会があった。グリューネアレーの老舗カレー店でスマトラ風カレー,ビールを食す。いつも行く喫茶店で苦いマンデリンをいただく。

帰りは神保町から地下鉄と JR を乗り継いだ。くたくたに疲れて帰宅した。万歩計を確認したら 20,200 歩であった。

※Google マップで,歩いたコースを作ってみました。ポイントごとに携帯デジカメ写真も掲載しました。