角川文庫『源氏物語 ビギナーズ・クラシックス』(角川書店,2001 年)を読んだ。「あらすじ+さわり古文」でもって,よいとこどりをしようとした。それなりに全体の趣きを把握することはできた。でも,時間をかけて本文全体をすべて読まないと,やはり作品時間を共有できない。まるで,いいときだけ顔を出す遊び仲間になったような気後れがある。よい一節も退屈な(というか,理解できない)部分もおしなべて付き合ってこそ味わえる達成感がない。とはいえ,作品の世界的古典たる所以,源氏香,仮名遣いなどについて,いろいろ自分なりに考えることがあり,興味深い時間を過ごすことができた。
昔,大学の教養部時代,国文学の講義で大朝雄二教授 — 岩波新古典文学体系本『源氏物語』の校注者である — が「源氏物語は女性のための文学だ」というようなことを冗談混じりにおっしゃっていたことを思い出した。作品は主に主人公の雅な女性遍歴を物語るわけだけど,雨夜の品定め,源の内侍(好色な老女官)や末摘花(鼻の赤い醜女)の描写などに,男性の独善的でご都合主義な女性観が如実に,残酷なまでに描かれていて,一方でそんな男の身勝手さを皮肉に眺める作者の眼差しも散見される。
「[ ... ] 今よりのちの御心にかなはざらむなむ,言ひし違ふ罪も負ふべき」など,さしもおぼされぬことも,情け情けしう聞こえなし給ふことどももあめり。(現代語訳: [ 源氏は ]「[ ... ] 今後あなた [ 末摘花 ] に不満があった場合には,約束違反の罰を受けよう」と,それほど真剣に考えていないのに,いかにも情のこもったふうに言いくるめた。)
もちろん『源氏物語』は現代的な意味でのジェンダー文学ではない。しかし,薫を拒絶する浮舟の姿 — 大ロマンの掉尾を飾る名場面 — は,男女の仲,世の動かせない規範に縛られた女性の「ものあはれ」,寡黙な運命的抵抗を象徴して感動的である。
本書には源氏香の解説が掲載されている。源氏香とは香道の遊技である。5 種類のお香をそれぞれ 5 袋づつ計 25 袋用意し,このなかから無作為に 5 袋を取り出し,順に聞き分けて同じ香の出現パターンを,対応する源氏の巻名で答える。香を聞き分ける熟練と古典の知識とを競う優雅な遊びである。香の組み合わせは全部で 52 通りあり,そのパターンは 5 本の縦線とそれらを結ぶ横線とで記号化され,「桐壷」と「夢浮橋」以外の(つまりはじめと終わりを除いた)52 の巻名に対応づけられている。その印は本書中,巻の中扉に掲げられている。
さて,そこで問題。源氏香が 52 パターンとなることを数学的に示せ。これは高校数学における順列・組合せの面白い問題である。河添健・林邦彦共著『楽しもう!数学を』(日本評論社,2002 年) に掲載されていた。同じ香が 1〜5 の何種類含まれるかで場合分けして,それぞれの組合せの数の和を求めればよい,とあった。源氏香は同じ香りがどこで現れるかに焦点があり,5 種類の香 A〜E において,ABBCD も CDDEA も同じ「夕顔」であるところが,この問題のちょっとひねりをきかせたところである。高校生の方は自力で解いてみてください。なんでこんな話題を書いているのか。来年,子供が受験生になるからか。
さてさて,また一方で源氏香の記号を文書組版システム LaTeX で組版できないか探ってみた。それが今昔文字鏡フォントに含まれていることを知った。源氏香文様は,同じ香の場合縦線を横線で繋ぐシンプルなものなので,フォント形式でなくても TeX の作図命令で描画することもそれほど難しくはないと思う。とはいえ,さすが文字鏡である。ちょっと遊びで組んでみた。
今昔文字鏡 LaTeX 用パッケージ一式,文字鏡フォントは『パソコン悠悠漢字術 2002』の付録 CD に収録されている。今昔文字鏡サイトなどのインターネット・リソースからもダウンロードできるはずである (ただし今昔文字鏡サイトのダウンロードサービスは 2009/1 現在,サイト再構築のためサービス停止中であり,多少古くても書籍を購入したほうがよいかも知れない)。
TEXPACK.TBZ を bzip2, tar で解凍し,添付の install.txt ドキュメントに従って LaTeX システムに追加する。もちろん文字鏡フォントも,TrueType ないし Type1 いずれかの形式のファイルを TeX, dviware が参照できるパスに格納しておく必要がある。ここでは,『パソコン悠悠漢字術 2002』添付 CD から UNIX システム(Mac OS X 含む)にインストールする方法を,以下に示す。pLaTeX2e はすでにインストール済みとする。tcsh シェルでのオペレーションである。
- まず CD 内 TEX ディレクトリ以下にあるファイル TEXPACK.
TBZ 及び PFB, TFM, JFM ディレクトリ一式をワークディレクトリ(仮に ~/tmp/ mojikyo とする)にコピーする。オペレーションは省略。 - ワークにコピーした PFB ディレクトリの下にある文字鏡 Type1(PostScript)フォントを解凍する。TFM,JFM も同様に解凍が必要である。アーカイブがいくつもあり,ひとつひとつ解凍するのは面倒なので,tcsh foreach 文で纏めて処理する例である。解凍にはしばらく時間がかかる。
- TEXPACK.TBZ を解凍し,スタイルファイル,マップファイルを TDS(TeX Directory Standard)所定の位置にコピーする。さらに各種フォントファイルも TeX フォントツリーに移動しておく。次のようなオペレーションを行えばよいはずである。
% cd ~/tmp/mojikyo % ls -F JFM/ TEXPACK.TBZ* PFB/ TFM/ % bzcat TEXPACK.TBZ | tar xvf - % su -m # setenv TEXDIR /usr/local/teTeX/share/texmf-local # mkdir -p $TEXDIR/fonts/{map/dvips,tfm,type1}/mojikyo # mkdir -p $TEXDIR/tex/latex/mojikyo # cp -p style/* $TEXDIR/tex/latex/mojikyo/ # cp -p dvips/* $TEXDIR/fonts/map/dvips/mojikyo/ # mv TFM/*.tfm JFM/*.tfm $TEXDIR/fonts/tfm/mojikyo/ # mv PFB/*.pfb $TEXDIR/fonts/type1/mojikyo/ # mktexlsr
- フォントマップを登録する。
% cd ~/tmp/mojikyo/ % ls -F JFM/ TEXPACK.TBZ* PFB/ TFM/ % foreach i (PFB TFM JFM) foreach? cd $i foreach? foreach j (*.TBZ) foreach? bzcat $j | tar xvf - foreach? end foreach? cd .. foreach? end ... 解凍にしばらく時間がかかる ...
# updmap-sys --nomkmap --enable Map=momin.map # updmap-sys --enable Map=moten.map
これで文字鏡 LaTeX 環境の作成は完了である。文字鏡フォントを LaTeX で使うためには,Type1 フォント使用オプション指定でスタイルファイル mojikyo.
% platex genjiko % dvips genjiko.dvi -o % dvipdfmx genjiko.dvi
以下のような LaTeX 原稿を書いて組版してみた。組版結果の画像を原稿の下に示す。PDF genjiko.
% -*- coding: utf-8; mode: latex; -*- % 源氏香文様 \documentclass[b5paper,12pt]{jsarticle} \usepackage[type1]{mojikyo}% 今昔文字鏡 PostScriptフォント指定 \usepackage[dvipdfmx]{graphicx,color}% \definecolor{murasaki}{cmyk}{0.11,0.53,0,0.40}% 紫 \definecolor{aisumicha}{cmyk}{0.08,0.04,0,0.70}% 藍墨茶 \newcommand{\kan}[2]{% 巻名・源氏香出力マクロ \parbox[c]{3zw}{\hfil #1\hfil\baselineskip=18pt\relax\par% \centering\bgroup\LARGE \ifx#2\empty \else\color{murasaki}\MO{#2}\fi\egroup}}% \pagestyle{empty}% ノンブルなし \begin{document} \color{aisumicha}% \def\arraystretch{2.5}% \begin{center} \begin{tabular}[c]{cccccc}% \kan{桐壺}{\empty}&\kan{帚木}{064801}&\kan{空蝉}{064802}& \kan{夕顔}{064803}&\kan{若紫}{064804}&\kan{末摘花}{064805}\\ \kan{紅葉賀}{064806}&\kan{花宴}{064807}&\kan{葵}{064808}& \kan{賢木}{064809}&\kan{花散里}{064810}&\kan{須磨}{064811}\\ \kan{明石}{064812}&\kan{澪標}{064813}&\kan{蓬生}{064814}& \kan{関屋}{064815}&\kan{絵合}{064816}&\kan{松風}{064817}\\ \kan{薄雲}{064818}&\kan{朝顔}{064819}&\kan{少女}{064820}& \kan{玉鬘}{064821}&\kan{初音}{064822}&\kan{胡蝶}{064823}\\ \kan{螢}{064824}&\kan{常夏}{064825}&\kan{篝火}{064826}& \kan{野分}{064827}&\kan{行幸}{064828}&\kan{藤袴}{064829}\\ \kan{真木柱}{064830}&\kan{梅枝}{064831}&\kan{藤裏葉}{064832}& \kan{若菜上}{064833}&\kan{若菜下}{064834}&\kan{柏木}{064835}\\ \kan{横笛}{064836}&\kan{鈴虫}{064837}&\kan{夕霧}{064838}& \kan{御法}{064839}&\kan{幻}{064840}&\kan{匂宮}{064841}\\ \kan{紅梅}{064842}&\kan{竹河}{064843}&\kan{橋姫}{064844}& \kan{椎本}{064845}&\kan{総角}{064846}&\kan{早蕨}{064847}\\ \kan{宿木}{064848}&\kan{東屋}{064849}&\kan{浮舟}{064850}& \kan{蜻蛉}{064851}&\kan{手習}{064852}&\kan{夢浮橋}{\empty}\\ \end{tabular} \end{center} \end{document}
源氏香文様 今昔文字鏡フォント
本書は今昔文字鏡フォント活用の実践的解説書である。付録 CD にはフォントだけでなく,上記 LaTeX パッケージなどのツールが収録されている。惜しむらくは,この 2002 年版では LaTeX での活用方法が割愛されてしまったこと。でも,添付 CD の TEX ディレクトリにある usage.
さてさて,角川文庫『源氏物語 ビギナーズ・クラシックス』を読んでいて,歴史的仮名遣いについても少し考えるところがあった。
本書のコラムに「鈴虫」の一節からの写本表記が掲載されている。紫式部による『源氏物語』オリジナルは失われたことになっている。現在残っているのは鎌倉時代以降の写本だという。それでもその写本は,紫式部の時代の書き方からそう隔たっていないと思う。それらは変体仮名を含む草書体である。
次はその表記をこんにちの活字にしたものである:「十五夜農遊ふくれ二佛の於万へ二宮於盤して八しちかくな可め堂万ひつゝ念珠し堂万婦わ可支あ万支三多ち二三人盤那多て万徒るとてなら須あ可つ支の於と,三徒のけ者ひなときこゆ」(pp. 330-1)云々。ちなみにこのくだりは二千円札の裏面にその一部が刷られている。大学の国文学科でまじめに印影本を解釈する訓練を受けた者には,これがすらすら読める。私などは本当に尊敬してしまう。
しかし,普通の読書人には,次のように歴史的仮名遣いに「改変」されていないと理解できないのではないだろうか:「十五夜の夕暮れに,仏の御前に宮おはして,端近うながめ給ひつゝ念誦し給ふ。若き尼君たち二三人,花奉るとて,鳴らす閼伽坏の音,水のけはひなど聞こゆ」。
写本の表記は,変体仮名を含むだけでなく漢字の宛て方も独特であり,歴史的仮名遣いとの差異が著しい。歴史的仮名遣いでは多様な変体仮名が,現代でも使われる仮名文字に包摂され,画一化され,書写したひとが籠めたかも知れぬ意図(草書体としての見た目の麗しさ等)が捨象される。「歴史的仮名遣いこそが日本の伝統的な仮名遣いである。現代仮名遣いは愚かな誤謬であり,日本の伝統との断絶を齎す。すべからく歴史的仮名遣いに復古すべきである」と宣うひとたちは,この『源氏物語』写本の仮名遣いを見てなんと言うだろうか。「伝統」って何? この写本から,「歴史的仮名遣い」が自然に,合理性に基づいて生まれ出た伝統的形式などではなく,むしろ,仮名遣いとはその時代の要請に応じた統制を受け,変幻自在に変化してきたということが,窺われる。古典は,校訂者による言わば「歴史的仮名遣いによる改竄」によってこそ,我々にとって親しいものとなっているのである。
歴史的仮名遣い復古主義者・「正字正仮名」信奉者には,きちんと一次文献を調べ表記の「実態」をよく知る国語国文学研究者ではなく,雰囲気として古めかしい「歴史的仮名遣い」こそが「伝統的で正しい」と勘違いしているに過ぎないひとが,実は多いのではなかろうか。彼らは仮名遣いの「実態」を知らずに,契沖及び明治以降戦前までの仮名遣いを基準に議論しているだけのように私には思われる。
国語表記は「伝統」の本質ではない。「正字正仮名」信奉者が大げさに言う歴史的仮名遣い表記の「正統性」を杓子定規に受入れてしまうと,現代人が『源氏物語』などの古典と真に繋がるための本性を逆に喪失してしまう。古典の表記の真の姿は「歴史的仮名遣い」から大きく乖離しているのだから。まあ,「正字正仮名」信奉者が「現代仮名遣いは伝統との断絶だ」なんて大げさに危機感を煽るのは,文化人ぶっているだけだと私には思われる。