今日でお盆休みも終わり。今年は例年になく,オリンピック観戦でテレビに齧り付きの毎日であった。昼間っからビールを呑みつつ競技を観戦し,競技の合間に本を読み,競技の終わった深夜に映画を観,とまったく暇オヤジと化していた。妻の実家に遊びに行っていた息子が一昨日に,娘が今夜帰ってきた。これでまた我が家の騒々しさが戻ってきた。
北京オリンピックはそれなりに成功裏に進んでいると思う。しかし一方で,開会式での少女の口パクやCGによる演出が問題視されたり,集会の自由などの開催決定時の公約が遵守されていないなどのケチをつけれらている。たとえば産経新聞の配信記事。
口パクのどこが悪いのか。CGによって開会式映像の劇的効果を高めることのどこが悪なのか。ありのままが何の真実を伝えるというのだろうか。この点について私はまったく非難の根拠が理解できない。演出というものは本来そういうものではないだろうか。湾岸戦争の世論操作のためにどこかの国が世界中にばらまいた油まみれの海鳥のニセ映像と比べれば,北京オリンピックにおける「ウソ」,脚色は罪のない平和なものである。むしろ中国人の端倪すべからざる創意に目を向けるべきである。
人権問題・言論の自由への中国政府の対応に対する批判は,中国の共産党一党独裁体制の信頼を貶めるための半ば伝統的な手法である。大国特有のきな臭い陰惨な行動に対しては国際的連携のもと大いに批判すべきである。しかし,いまこのオリンピックについて問題にすることなのだろうか。それはそれ,これはこれで議論すべきことではないだろうか。こうした様相は五輪祭典がいまや名実共に政治的イベントになっていることを示している。ところでこの問題で大騒ぎをしているのは,中国・ロシアの国際的発言権の増大で国益を損なう老獪な英国とそのメディアが中心になっていることをよく考えたほうがよいと思う。そして日本のメディアはこうした英国主導のプロパガンダにまったく無批判で唯々諾々の態であるということも。この件について極めて慎重なアメリカを見習うべきである。日本政府が英国の尻馬に乗るようなことがないよう期待する。五輪開会式に皇室ではなく — 宮内庁は皇室出席の中国要請に対し「五輪は政治的イベントであるから」と正鵠を射た理由をもって拒否した — 福田総理が出席したことは,日本として極めてバランスのとれた適切な行動だったと私は評価する。
しかし日本のマスコミの偏向報道で反中・嫌中を刷り込まれている日本人は,英国が騒ぎ立てているこの五輪演出や人権問題を過大に受け止めているひとが多いようである。先にリンクした産経新聞記事に付属したブログ記事を見てみるとよい。自分自身がさも中国人と長い間つきあって身に沁みたことでもあるかのように「世界は中国人の身勝手な姿をいまごろ知ったのか」風の愚かな言をなしている。また別の産経ニュースで報じられたネット調査によれば,五輪開会式への日本の要人出席についてなんと 87% が反対 — その理由は人権問題である — としている (ここまで反対が大勢であるにも拘らず開会式に臨んだ福田首相の考え方にも興味を覚える。似非ナショナリスト — というより戦争好き米国の,可哀相になるくらい卑屈な従僕 — でしかなかった安倍首相なら,自信満々で開会式主席を拒否したかも知れない。否,ブッシュ大統領が出席するならと対米従属根性でのこのこ出かけたかも知れない)。
これは日本のマスコミが,中国人の反日的行動や,偽ブランド品の販売や,不潔で洗練されない生活や,など否定的側面ばかりを報道しているため (どうも産経新聞はその代表のようである),逆切れ,あるいはナイーブな清潔漢ぶり,正義漢ぶりを発揮しているだけなのだと私は思う。その抽象的もの言いを聞くにつけ,そのことを本人が気づいていないとしか思えない。だって,その反中的ブログの著者が具体的にいつの,中国人のだれの行為を根拠に語っているのかまったく分らないではないか。私だって中国人「全般」についてはそんなに知るところはない。しかし,私の職場で働く生身の中国人技術者は日本人以上に勤勉であり,ものごとへの取り組みが真摯であり,その技術的精度も高く,そこから察する限りにおいて中国人は尊敬に値する国民であると私は自信をもっていうことができる。オリンピックにおける中国人の活躍も納得できるのだ。それは韓国人についても同様である。反中ブログ一言居士氏たちは本当に自身が中国人と直に接したうえで,その国民性を悟って発言しているのだろうか。マスコミ報道で作られたイメージだけで勝手なことをおしゃべりしているだけだと私は思う。目隠しされた者がゾウの足に触れてゾウを「厚い皮膚の足の太い動物だ」と認識してしまい,長い鼻や大きな耳の属性を知らずにいるのと同じで,私は中国人の本質を捉え損ねているかも知れない。しかし,触れもせず人聞きだけで「ゾウって愚かな動物だ」としたり顔して公言して憚らない馬鹿よりはましだと思っている。
中国人は日中戦争の苦い経験とナショナリズムの発揚とのために反日教育を受けている。よってことあるごとに反日的プパガンダが現われるのは当たり前なのである。でもそれは反中ブログ一言居士氏たちと情報操作に踊らされているという意味で同じレベルだと思う。四川大地震における日本の支援グループが被災者の前で黙祷したとのマスコミ報道や,五輪開会式で日本の選手団が日章旗とともに中国の国旗を振っていたことで,ころっと日本のイメージを変えてしまう中国人がいるくらいなのだ。つまり対日本,対中国の両国の国民感情は意図的な情報操作に著しく左右されているということではないだろうか。日本の反中ブログ一言居士氏たちは自分は自由な先進国の国民であり,自由な — しかし実際は画一的な — 報道に基づいているので賢いと思っているだけ,いっそう哀れなんだけど。統制国家の体制的情報操作と主体性のない自由な国家の画一的情報供給とはある意味で同じ喜劇性を呈している。
反中一色のマスコミ報道に煩わされず,もっと自分たちの生活の実際から物事を考えるべきではないだろうか。私自身はいまや中国人プログラマ,技術者なしでは仕事が立ち行かなくなっている。それは日本の技術者が足りない,単価が高いなどの要因によるのだけれども,言語の障壁を除けば中国人技術者の質は極めて高い。日本の技術者が見習うべきところは多い。スーパーに行って,中国産の食品,衣料品がなくなると何が起こるか考えてみるとよい。日本人の生活が成り立たなくなる筈である。これだけ生活の急所を中国に握られているのに,先進国ぶった浅はかな反中自己満足で日中関係を損なう行動に走るのは建設的でなく,まったく馬鹿げている。冷凍餃子問題なんて大海の一滴の濁りをことさらマスコミが煽っているだけだと思った方がよい。
※12.7 付記
だからと言って,私が中国によるチベット弾圧や冷凍餃子問題を軽くみていると思われるのも癪である。中国政府の人権問題や食の安全管理については,日本の立場からがんがん批判してよいと思う。私が上で書いたのは,その問題が中国人全般の人間的欠陥のように極め付けることはなにも事態を改善しないということである。日本人だって,歴史認識や従軍慰安婦問題等々で中国人や韓国人,米国人などのうち国際意識の低い人々から,「日本人という奴らはみんな二枚舌でスケベ」というような同じ視線を浴びているということを受けとめるべきだと思う。