ひねもすオリンピック

今日は午近くに起き出したら,頭痛が酷い。うんうん唸りながらご飯。テレビでオリンピックを観はじめる。あまりの痛みに腹を下し,冷や汗は出るはで,頭痛薬を服用した。そのままテレビを観ているうちに和らいで来て,男子バレーボールの試合で溜め息をつきつつも,夕方,サッカー日本 vs ナイジェリア戦がはじまるあたりになると,完全復活,ビールを呑み出す始末であった。こんなに一日中テレビに齧り付いたのは何年ぶりか。

柔道で見せてくれましたね。昨日は谷選手が惜しくも,とういうか堂々の銅メダル。「ママでも銅」は凄いこと。これで金メダルなんか獲得しちゃった暁には「次はバツイチでも金,オバサンでも金」なんてことになりかねないではないか (母親としても心身をすり減らしているところに,柔道で肉体を蝕まないといけない理由などもうないはずである)。続いて,今日はかわいい中村選手の銅メダル,男前の内柴選手の2大会連続の金メダル。サッカー,バレーボールはちょっと残念な結果だったけど,皆,夢舞台で己の最高の実力を見せてくれたのではと思う。まだまだ競技が続くのでこの夏は熱いゾ。

それにしてもオリンピックを観ていると,小市民サラリーマンの私には,選手の半生が哀れに思えてくる。メダルへの輝かしい期待と,裏切りの結果への冷たい視線。柔道の中村選手はうちの長男と同じくらいの年齢であり,不敵ながらあどけないその顔つきを見ていると,期待に押しつぶされるくらいならもっと余裕ある堅実な人生を歩ませてあげたい気がした。そもそも過酷な練習でへたな怪我をして選手生命を棒に振り,忘れ去られてゆくひとがゴマンといる。女子バレーボールの大山加奈選手などは日本国民の口に出ぬ陰険な圧力で削られたも同然ではないか。

でも,勝つか負けるかでくっきりと明暗を分けるデジタルな潔い世界に身を浸して己の限界に挑んだ選手たちは,屈辱にうちひしがれたとしても,日本人の現在と未来に戦う心を掻き立てる意味でよい影響を与えているのだから,尊敬をもって迎えられるべきである。勝つこともあれば,負けることもある。大事なのは勝負したということ。なんと哀れなことか。