金曜日,急な仕事が入りお午が取れず,夕方ひとりでぶらっと食事に出た。私の会社の溜池事務所前を通っている外堀通りから米国大使館の方にひとつ行った裏通りに入った。この細い通りにはお洒落なフランス料理屋,ドイツレストラン,高級パティセリー店,個性的な弁当屋,うまい鶏肉を食わせる料理屋,それなりのとんかつ屋などが立ち並んでいる。今日は前から気になっていたうどん屋にはじめて入ってみた。狭くてちょっと薄汚い店だった。
私は関西人である。大学に入学して札幌で暮らしはじめたときはなにより食の違いに驚いた。原理的には腐敗した,独特の臭いとともに糸を引いて粘る納豆を,自分が好んで食べるようになるとは想像だにしなかった。ウスターソースをかけて食うものだと思っていた天ぷらを,天つゆで食することに感心した。一方,厚焼き卵の味付けの違いにはなかなか慣れなかった。
しかし札幌 — というか東の文化圏 — に来て,これだけは絶対だめと思ったのがうどんである。関西のうどんつゆは昆布だしで薄い色だが独特の甘みとコクがある。それが当たり前だった私は,鰹節だしで醤油の濃い札幌のうどんつゆはどうもだめだった。おまけに関西ではうどんは当時 100 〜 200 円の間で一級品が食べられたが,札幌ではまずい上に 300 〜 500 円と高価で「ぼられる」ような不満もあったのである。概して東日本は麺類が異様に高い。
溜池裏通りのうどんは関西風の昆布だしの懐かしい味がした。小学生のころ,鍵っ子だった私は,たまに母からお午のお金をもらうと,近所のうどん屋によく行った。そのうどん屋の親子丼が旨かった。そのころはまだ,普段着として銘仙を着るお姉さんをよく見かけたものだ。そんなお姉さんがうどん屋で主人と冗談口をたたきながら,肘を付いてきつねうどん — そう,確か 70 円だった — を食べる鯔背な姿を眺めているのが私は好きだった...。いまにして思えば,鷗外の『ヰタ・セクスアリス』に出て来る「冬は半衿の掛かった銘撰か何かを着」た女のような存在だったのかも知れない。溜池で関西風うどんを食いながら,そんなことを思い出していた。値段はこのご時世なので,580 円もしたのだけど。
事務所へ戻る途中,同じ裏通りにある煙草屋に立ち寄った。私はまだタスポを入手していないので自販機を使うことができない。「ハイライトください」と私が注文すると,「あいよ。ハイライトっていくらだっけ」と煙草屋のオヤジ。このオヤジ,自販機に仕事を任せていたせいか職業感が失われてしまったようである。私は「150 円,... でしたよ。私が学生のころは」という冗談が頭に浮かんだ。「290 円ですね。これからちょくちょくお世話になります」と言った。