今日,父の日に妻が本をプレゼントしてくれた。レイ・リシュナー著の『C++ ライブラリ・クイックリファレンス』(オライリー・ジャパン, 2004)。前から欲しかったのだが,高価でちょっと手が出なかった本である。プーシキンのコンコーダンス・ソフトの心臓部を Unicode 対応に書き直そうと思っていて,そのためのライブラリ,関数仕様を調べるのに適切な書籍は,これをおいて他に見当たらなかった。妻に感謝。子供たちは何をしてくれるのやら。
14日の朝,岩手県で大地震があった。山が崩れ道路が無惨に分断された映像をニュースで見た。妻の実家が北上なので電話を入れたところ,被害がなかったようでほっとした。余震が続いて家を出たり入ったりと落ち着かないとのことであった。そんななかでも,私が東大の論文集に投稿したことを妻から聞いた義父 — ピエール・ブレーズそっくりなんである — は,そのことに感銘を覚えたらしく,たいへん誉めてくれた。こういうところが,文学のブの字も知らない私の実の父 — 北島さぶちゃんにそっくりなんである — とは大きく違うところである。掲載されたら抜刷を送ろうと思う。
この休日,プーシキンに関する論文を修正して過ごす。「掲載可」との編集委員会の通知とともに,査読者が修正を要請してきた朱入れ部分を重点的に見直した。引用の参照やロシア語の綴りにバグが多かった。査読者の先生は私の文献引用をひとつひとつきちんと原典に当たって確認してくれたようで,私はありがたいとともに恥ずかしかった。前回,査読者にコテンパにやられたダメ出しに対し,限られた時間のなかで全面書き直しを行い,やっと評価してもらえたわけだけど,今回も改めてチェックすると,日本語にも細かい瑕疵がいくつもあり,より明快に,分りやすいように修正した。締切まであと一週間の余裕がある。綴り誤り以外はとくに指摘のなかったロシア語要約についても少しは見直そうかと思っている。
最近ロシア文学がブームだとのコラムが今日の朝日新聞に出ていた。ドストエフスキイやゴーゴリの新訳が相次いで出版され,部数も出ているという。でも「ブーム」といえるほどかは極めて疑問である。ところでそのコラムで佐藤優が,ドストエフスキイが日本でのロシア文学の一番人気であることの危険性を指摘していて,興味深かった。私も佐藤にまったく同感である。ドストエフスキイほどバランス感覚・常識の欠如した作家,過激な反動家は少ないと思うのだが,その十九世紀的精神主義というか終末論的な思想の深遠さ,観念的な想像力が,思想的な基盤の弱い日本人の羨望の的になるんである。「神がいなければすべてが許される」という命題からして,ドストエフスキイについてゆけないものを私は感じるのだけど。むしろ私なんかはドストエフスキイを読むと,「神がいるから,その名のもとにすべてが正当化される」という危険性を感じるのだ。