久しぶりの原尞

原尞の長編作品はそう多くない。私はそのすべてを読んできた。いずれも和製ハードボイルドの力作である。『愚か者死すべし』は私にとって十年ぶりの原尞読書となった。

通常の推理小説・探偵小説の主人公がもっぱら「与えられた」事実をもとに「推理」でもって犯人を暴き出すことを主眼とするのに対し,ハードボイルドは事件の過程での主人公の激しい個性,積極的な行動そのものに主眼を置くジャンルといえる。

かつては,日本人作家がハードボイルドで成功するのは難しいとされてきたようである。荒正人は「アメリカにハード・ボイルドが生まれたのは,それだけの必然性がある。だが,日本には,現在のところ,そういう必然性がない。だからハード・ボイルドを真似ても意味がない」とまで断言している(荒正人『推理小説のエチケット』, p.168, 江戸川乱歩, 松本清張編『推理小説作法』光文社文庫, 2005 年)。「必然性」の根拠を荒正人はきちんと述べていない。しかし,多民族国家で利害の対立が激しく法律的人間関係がより表面化しやすい米国の社会環境においてこそ,非情さ,ドライさ,行動力,ヒロイズムを特徴とするハードボイルドが成立したと荒に映じたのだと私は思う。

荒正人の断言から 50 年近く経たいま,もはやこの評論家のような言をなすものはいないと思う。日本にも原尞のような優れたハードボイルド作家が登場したのだから。日本の社会が米国並に病んでしまった証左といえるかも知れないが...

原尞作品の主人公私立探偵沢崎の魅力はなんだろう。フィリップ・マーロウ譲りのドライ,クレバー,シニカルなところはさておき,先入観のない人物像だと思う。『愚か者死すべし』には現代日本を象徴するかのような「ひきこもり」の若者が登場する。次のやりとりでは,この若者に対する偏見のない台詞が印象的である。

「なかなか大した観察力だ」と,私は言って,タバコを灰皿で消した。
「ほんと? からかっているんじゃないよね。バカにしてるんじゃないよね。まるで一日中隣のうちをのぞいているみたいな,変なやつだと」
「向かいのうちで,おかしなことが起こっていると思えば,誰だって気になるだろう。少なくとも,いまのおれにはそれが何よりも役に立っている。自分が変なやつかどうかは,自分で判断するしかない」
「そうか・・・・・そうだよな」彼は自信がないような口調で言った。
原尞『愚か者死すべし』早川書房, 2004 年, p. 63.