バッハ,72M,論文査読結果

寝る前にバッハを聞きながら書いている。平均律クラヴィーア曲集第一巻。スヴャトスラフ・リヒテルによる名盤である。もう三十年近く昔に手に入れ,何度も何度も再生した LP レコードなのでスクラッチノイズが酷いけれども,私はあんまり気にならないほうである。コンサート会場の観客の咳きや楽団員が譜面を捲る音のようなものである。バッハを聴いていると,時おり『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクター博士の気分になってぞっとする。映画の音楽の影響はうれしくもありうれしくもなし。

* * *

ロシア映画『72M』を観た。毎度のことながらロシア映画における文学の位置づけの大きさに驚く。軍人の家の部屋に詩人 (エセーニン) の肖像画が掛けられているなんて設定はロシアだけだろう。この映画は「潜水艦パニックもの」であり,ハイブロウな要素がまるでないからこそロシアの国民性を感じるのである。

休日に浮かれる二人の友人同士の水兵が,バルコニーで読書をしている美女を認めて,同時に一目惚れしてしまう。例によって上官 (映画の主人公) がもうひとりに肩車をさせ,バルコニーに顔を覗かせて「何読んでるの?」と声をかける。女は「当ててご覧なさい」と,本の一節を朗読する。「ゴーリキー?」ー「違うわ」。すると下で台の役をさせられている友人のほうがすかさず答える,「アレクサンドル・グリーンの『深紅の帆』ですね」。これでこの美女は相手の顔をまだ一度も見ていないのに,飛び出してこの下のほうにいる軍人に走り寄る。

文学の趣味が合うというのが男のモテる属性のひとつのようである。グリーンという作家の名前が言及されることの意味深さ,マニアックな趣きを理解できるのは,ロシア人でなければおそらく一握りの観客だと思う。こういう筋書きは,ハリウッドではまず見られないし,文学がどこか「青臭いインテリの穀潰しの無意味な道楽」に近い扱いを受けている現代日本では,まず絶対にお目にかかれないのではないか。また,事故で沈んだ潜水艦に閉じ込められた生存者たちが,生死の境目にあって,主人公の話すジョークに皆で足を踏みならして大喜びし,連帯感を確認し合うシーン。涙が出るほど印象的であった。

この映画はいろんなことを教えてくれる。現代のロシア人がソヴィエト時代の過去にひそかに苦しめられていること。ウクライナとロシアはかつて同じソヴィエト連邦であったが,現在はどうやら韓国と日本のように憎み合い,でもなんとかその溝を克服したいという気持ちがあること。ここで詳しく記すのはやめにする。観れば分かります。

それにしてもこの下品な DVD パッケージジャケットは何なのだろう。

* * *

十一月に投稿した論文の査読結果がメールできた。目の付けどころは悪くないが論証がいい加減なので見直すこと。四月末までに見直し版を提出せよ,とのこと。厳しい指摘が多かった。私の論文を二人の先生が真面目に査読してくれ,キツイとはいえ的確なアドバイスをくれて,本当にうれしかった。とにかく自分の行動に対して真摯なリプライが得られると,俄然それに応えなくてはならないと思う。でも本業をかかえつつ四月末で書き直すのは時間がなさ過ぎ... 独りよがりを 100 頁ものするのは — このブログのように — いとも容易いけれども,独りよがりを矯める 5 頁を認めるのは,その何十倍もの精神集中と時間とを必要とするものである。