久しぶりの溜池と Windows 本

目黒の顧客先での長い打合せのあと,久しぶりに溜池山王の事務所に出向いた。普段は江東区東陽町の本部ビルにいるのだが,私の部の拠点は赤坂溜池なのである。私の課の仕事が部のなかで特殊だからかウチだけが本部にいるわけだ。会議のあと,虎ノ門から家路についた。霞ヶ関が様変わりしていた。霞ヶ関ビルのそばに新しいビルが建ち,ステーキハウスなど,おしゃれな飲食店がオープンしていた。外国人が目立つ。文科省の裏手に霞ヶ関ビルと並んで新しい高層庁舎が完成していた。

溜池で勤務していたころよく通った書店『書原』が,その新庁舎の手前に場所を移して新装開店していた。『書原』はそう広くはないが,ジャンルの品揃えが確かで店主のポリシーを感じさせる私の好きな書店である。しばらく立ち読みをして,Raymond Chen 著『Windows プログラミングの極意』を購入した。本書は名前から想像されるようなプログラミング解説本ではない。版元のアスキーはこの点で狡い。原題は "The Old New Thing"。Microsoft のプログラマによるエッセイである。

まず最初のコラムの表題は「シャットダウンを実行するのに[スタート]ボタンをクリックするのはなぜか」。停止させるために開始ボタンを押す,言われてみれば笑ってしまうユーザインタフェースの逆説から話がはじまる。もうこれだけで,一級のコンピュータジョークを満喫できること請け合いである。帰りの電車で読みながら,落ち着いた書きっぷりゆえにいっそう笑いがこみ上げてきた。

Windows という OS は圧倒的シェアを有しているけれども,一方で皮肉な眼差で見られることも多い。バグが多いだの,UNIX の猿真似だの。『UNIX MAGAZINE』の昔の記事では,「Windows は分らない」とライターが書くのが定番であった。要するに「僕は玄人に相応しい UNIX の達人であって,素人くさい Windows なんて相手にしません」というように読み取れて,嫌みな臭いプンプンなのであった。でも万人によって選択される Windows は,それゆえに万人によってもたらされる Microsoft 社の痛切なひきこもごもを見せてくれ,コンピュータジョークの宝庫ともなり,よってもって愛すべき OS にあいなっていると私は思う。

Windows 95 は,当初,地図画像においてユーザが居住する近辺をクリックするとその地域のタイムゾーンが設定されるように実装された。ところがインドとパキスタン,ペルーとエクアドルの国境紛争のあおりを食って,国境付近をクリックしたときの動作にクレームが出て,Microsoft はこの機能の製品化を断念したとの逸話が掲載されている。この試験版で竹島あたりをクリックして設定されるのが日本標準時刻だったのか,韓国標準時刻だったのかは不明である。(※) Microsoft という世界規模のモンスターゆえのこうした悩みが面白い。版元のアスキーはこの点で目の付けどころが確かである。

(※)とはいえ,日本標準時も,韓国標準時も UTC+9 で時刻は同じなんだけど。ところで,韓国は,日本標準時の基準となっている東経 135 度が韓国国土を通っていないにもかかわらず韓国も日本と同じ基準を採用していることにアイデンティティの喪失(日帝の残滓)を感じて,東経 127.5 度を韓国標準時の基準としようとする議論がある。そうなると韓国標準時は UTC+8.5 となり,各国の時差が 1 時間単位でずれる原則から外れることになる。アイデンティティのために中途半端な標準時を採るとはどこまで中途半端な国なのかと呆れる次第である。くだらないメンツのために実利を失う国民性がよく現れていてよいと思う。いまのところこれが採択されてはいないのだが。