文化を計る — 計量文体学の書籍

村上征勝著『文化を計る — 文化計量学序説』(朝倉書店,2002年)を読む。これは同書店刊の『データの科学』全6巻のうちの巻5。文学や美術を多変量解析などの統計的手法で分析するにあたっての考え方,分析事例を述べたものである。統計的手法を人文科学の研究に応用しようとする試みは最近活発のようである。私もプーシキン研究において統計的根拠で傍証を試みようとし,統計学を学んでいるところである。

シェークスピアの一部作品はベーコンの手になる,との説が統計学的に否定されたというのは有名な話である。本書は,日本文化を題材として源氏物語の複数作者説の検証や,日蓮の遺文の贋作判定,作家の文体のグルーピングなどの事例を紹介している。源氏物語や日蓮の文献の分析でクラスター分析,数量化III類が応用されている。

ノーベル文学賞を受賞したショーロホフの『静かなドン』に盗作疑惑があるとの説を,昔,アラン・プレシャックの『ソビエト文学史』(白水社,クセジュ文庫643,1981年) で読んだ。ところが今回,1984年に北欧の研究グループの統計分析によってこの盗作説が否定されたということを本書で知り,大学時代ソヴィエト御用文学に対して疑り深かった私にはたいへん面白かった。

こういう書籍を読むと,いまや文科系といえども数理統計を無視した実証的研究だけでは立ち行かなくなったことを痛感する。作家の作品・文体の分類などの課題を抱えている文学研究者には,本書はお勧めの一冊である。

文学研究に統計的手法を適用する計量文体学に関し,有益な書籍をもうひとつ挙げておきたい。アンソニー・ケニィ著『文章の計量 — 文学研究のための計量文体学入門』(原書初版1982年,南雲堂,1996年)は,英米文学作品に対する分析例の豊富な入門書である。文科系の学生のために書かれていることもあり,統計量や検定の概念など統計学の基本から丹念に解説していて解りやすい。『文化を計る』よりも教科書的配慮があり,易しい。

ただし本書は実践的解説書であって,理論的教科書としては数理的な証明がなかったり,統計学用語・記号の使い方が本格的な統計学の書籍と比べるとちょっとずれていて,統計学の本としては少し物足りないと思う人があるかも知れない。私としては,この種の文学畑よりの本には統計的手法と文学の意味論との相互関係についての方法論的考察をももう少し求めたいところもある。だって文学テクストにおいては,たった1回しか発せられなかった語が何回も出現する語以上に文学表現/意味として重要であったりする場合がないわけでないのだから。とはいえこんなことはケニィの本の目的とは直接には関係がない。

文章の計量―文学研究のための計量文体学入門

アンソニー・ケニィ著,吉岡 健一訳
南雲堂 (1996/06)