ドイツ—アルゼンチン戦

仕事から帰宅して,ニュース番組のあとワールドカップ準々決勝ドイツ—アルゼンチン戦を観た。開催国ドイツはボールキープで少し劣勢に見えたが,なんと PK 戦にまでもつれこんで最終的に勝利を収めた。執念・実力が伯仲する凄い試合だった。ポルトガル—オランダ戦もそうだったが,こんな試合をみると日本チームの戦いで神風が吹くはずのないことがよくわかる。いずれにせよ精神的,肉体的に鍛えられた者たちの崇高さに感動した。ドイツ,アルゼンチンという国が,なぜだか,いよいよ好きになってしまった。

日本のサッカー界は現在次期代表監督騒ぎにある。失敗の後始末の過程で政治的な不手際が表面に出てくるのがこの国の伝統だけど,契約の主導的立場にあるジェフユナイテッドとの間になんのネゴシエーションもないままに日本サッカー協会がオシムさんの名前を公表し,自宅に押し掛けて交渉を行うなんて,大人のやることではない。これこそ民間(J リーグ)の企業努力を無視した親方日の丸的な日本の旧来のやり方ではないか。ジェフユナイテッドの幹部やサポーターは,これは自分たちの努力に対して権力者が侮辱行為をなしているのだと受け止めて,なんとしてもオシム・ジャパンの成立を阻止してもらいたい。東欧の壮絶な現代史に身を置いてユーゴスラヴィアをワールドカップベスト 8 に導いたオシムさんに,ギリギリの状況に向き合ってきた人間のもつ魅力,いま日本にもっとも必要とされるなにかを一番知る者だという期待を,私自身強く抱くのだけれど。

こんな茶番劇じみた騒動のなか,オシムさんの代表監督就任への期待が全体として高いのは興味深い。日本人監督(加茂さんの顔がすぐ浮かぶのはなんで?)ではだめなんだろうか。なんか明治時代に技術者,大学の先生はすべて外国人だったのと同じで,まだ日本のサッカーはスポーツとして充分に定着していないということなんだろうか。中国とロシアとの戦争に勝って大喜びして,世界の超一流に伍していけるという自信過剰に陥った構造も,明治日本と酷似している。「サムライブルー」,しばらくは不幸な歴史を歩まないと成熟しないということか。世界でサッカーが国を挙げたスポーツであるといわれているのが恐ろしく意味深長に響く。