文章がうまくなりたいと思わない者はないだろう。誰しも一冊や二冊はその指南の書を手にしたことがあるのではなかろうか。私も高校生のころから,そのテの本をそれなりに読んで来た。「うまく」書けるようになりたいと。しかし,大学を卒業し,勤めに出るようになって,文章に対する考え方が根本的に変わった。自分の思想(というか「思考」)を簡潔に,明快に,わかり易く書くことが第一目標になった。「個性」,「表現」,「文体」というものが,なるたけちらつかないようにすること。
その過程で,文章の書き方についてしるした本についても評価がまったく変わってしまった。昔は作家が書いた『文章読本』を有り難がって読んだものだが,いまは十中八九,それらはその作家個人の単なる趣味の域を越えず,その多くはただの「たはごと」だと考えるようになった。要するに,丸谷才一や三島由紀夫などの『文章読本』を読んで,吹き出してしまうようになったのである。偉い作家の「書き方」が優れた文章指南の本としてまかり通っているから,文学をやった者が世の中にバカ者(でなければ気取屋)扱いされるのだと,真剣に考えるようになったのである。
それとともに,日本の国語教育のレベルの低級さがいや増しに感ぜられるようになった。作文では自分の「思っていること」をうまく「表現」し「個性的に」書くことが尊ばれ,起承転結などという「はぐらかし」文章構成法がもてはやされ,まあ要するに,個性もないのに個性的たろうとするバカを養成するのが学校の作文教育の目的であるように思われて来た。テーマの取扱い方・絞り方や,誰もが則るべき規則,事実と意見の書き分け方などの,どちらかというと没個性的な言語構成法をどうして子供たちに徹底的に仕込まないのかと思うようになった。
その一方で,埋め草や文学的な言い回し(要するに「表現」への指向)を排して,言いたいことの優先度を整理し,目的の実現に最大限奉仕するようパラグラフを構成し,わかり易い言葉を選びかつ一貫させることが,私の作文(というか仕事などでの資料作り)の主眼となった。そこには「雰囲気」,「空気を読ませる」,「陰翳」などの無意味な意図を絶対に潜り込ませてはならない。そんな「文芸」からもっとも遠いマナーを尊ぶようになった。いまの私にとって文章指南の最高の書籍は,木下是雄著『理科系の作文技術』(「理科系の」という表題が大いなる皮肉である)と M. J. アドラー・C. V. ドーレン共著『本を読む本』(後者は「読む立場」から書かれているが,逆にそれに答えるような書き方を教えてくれるのである)。この二冊につきると思っている。
R. J. ウィンジェルの著書『音楽の文章術』(宮澤淳一・小倉眞理訳,春秋社,1994 年)は,音楽という芸術に関する記述においても,幼稚な比喩や文学的言い回しで陽動するのではなく,「音楽についての考察」,「音楽の内部で何が起こっているのか」を思慮深く明晰に書かなければならないと述べている。音楽の感動を文章にしるすとなると主観的にならざるを得ない。昨日私の書いたブログ記事の「メンデルスゾーンの音楽は,自己主張の少ない慎ましやかなものだが,衷心さが心を打つ」なんてのも,ただの主観的書き散らしに過ぎない。それでも,音楽について公的になにかを主張したいという場合,やはり主観から客観に重心を移すべきであって,本書はそのための指南になっている。
音楽について書くのは難しい。そのため,音楽について実際に考察するのを避けるために,陽動作戦に訴え,まったく関係のない内容でページを埋めてしまう人がいる。... そういう文章の書き方について触れるのは,物笑いの種にするためではない。われわれが避けたい文章の書き方とはどのようなものかを明らかにするためである。なお断っておくが,これから挙げる例は直接的な引用ではなく,私が読んだことのある文章に手を加えたものである。......... ヴィオラはみずからの簡潔な主題によってさえぎろうと懸命になるのだが,木管楽器群はそれに心を動かされることなく,引き続き自分たちのおしゃべりを続ける。しかし,最後に金管楽器群が決着をつける。ほかのすべての楽器をかき消して,本来の秩序を回復させるのである。あまり意味のない内容にいつまでも関っていても仕方がない。この文章は音楽について何も語っていない。凝ったつもりなのだろうが,楽器の擬人化は,有益どころか幼稚である。
引用を含む長い引用でいただけないけれども,ここで「物笑い」になっているような文章を『レコード芸術』などでいやというほど読まされた方は,頷かれるものと信ずる。私には喝采ものである。「陽動作戦」を排する — 肝に銘じたい。
ウィンジェルの本は,音楽学の学生に向けて書かれた実践的なものである。しかし,主観的なる芸術について真実を求めて書くという姿勢において,書くこと一般について示唆に富む一冊である。
言及した,私のイチ押しの本も挙げておきます。