バレーボールと海と

今日は中学三年になる娘のバレーボールの試合だった。市のベストエイトが決まる日だった。浜川崎にある中学校の体育館。顧問の先生にご挨拶した。自身母親の身でありながら,休日,夏休み関係なくクラブで子供たちを指導している。私には,まったく頭の上がらないタイプの先生である。

私は久しぶりに iPod を持参し,音楽を聴きながら,他の学校の試合含めバレーボール観戦を楽しんだ。バルトークの弦,打楽器とチェレスタのための音楽,ヴァイオリン協奏曲,弦楽四重奏曲全六曲を聴き通した。意外とノリがよかった。レシーブに秀でた娘のチームは三戦全勝で,見事ベストエイト進出を果たした。私にはセッター選手のプレーが光った。

そのあと,浜川崎まで来たついでに,海が見たくなった。川崎に移り住んでからもう二十年近くなる。そのうち一度は行ってみたいとかねがね思いつつ,果たせなかった臨海地区の散策を思いついた。

浜川崎駅は JR 南部支線の終着であり,JFE(東日本製鉄所,すなわち,かつての川崎製鉄)の工場に接していて,JR 貨物列車も入って来る。しかし,なんと無人駅であった。Suica の簡易改札をはじめて目にした。この大都会の,なんというか,陥穽に入った気分。自宅からの往路は南部支線駅で下車したが,臨海方面に行くには,道路を隔てた JR 鶴見線に乗り換えなければならない。駅舎のそばの植え込みに猫親子がいた。浜川崎線も鶴見線も私が川崎に住み着いた 1990 年代はじめころにはクモハ12型なるチョコレート色の古色蒼然たる車両が走っていたものだった。

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ところが,鶴見線の無人のホームに立ち,次の列車の時刻を確認したら,50 分後。なぬ! 夕方少し前の時間帯は 1 時間に 1,2 本なのである。JR 東日本はこの 4 月から全面禁煙になったはずだが,この駅はまだホームの端に喫煙コーナーがあった。ベンチに座って狭いホームでひとり煙草を吹かす。持参した C++ 言語の本を読む。すぐ目の前に東日本製鉄所の錆び付いた工場が広がっている。

このあたりは,昭和二十年代〜四十年代くらいは破竹の勢いで鉄鋼・重化学工業が躍進し,労働者で溢れ返っていたはずだ。中学を卒業した少年が田舎から出て来て,ただひたすら働きに働く姿。周囲には,煤煙凄まじい工場のほかはなにもない。若者は月に一度,週末,女を買いに川崎の歓楽街・堀之内/南町まで足を運ぶくらいしか,楽しみがなかったかも知れない。そんなことを想像した。『あしたのジョー』の川崎。

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目指すは海に臨む海芝浦駅。車内はほとんど客がいなかった。元気な中国語が聞こえて来る。鶴見線・浅野駅。ここで,もう一度乗り換えが必要である。浅野駅もやはり無人駅。次の電車は 1 時間後である。駅の佇まいはまるで,かつて見た北海道の赤字ローカル線のようであった。十勝・士幌は周りにジャガイモ畑,ビート畑,麦畑,広大な林が広がっていたのに対し,こちらは工場,倉庫,高圧電線が錯綜している。なのに,のどかな雰囲気はなぜか共通している。潮の香りがする。青緑の見事な揚羽蝶が舞っている。黒猫が二匹いた。振り返るとクロネコヤマトの倉庫のロゴ。吹き出してしまう。白い服のお婆ちゃんが突然現われて猫達に水をやり,毛並みを整えはじめた。いつも世話をしているひとらしい。

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終着・海芝浦駅に到着。海に面した珍しい駅舎ではないだろうか。東京湾に開けた運河。向かいに首都高速湾岸線のベイブリッジが見えた。海の饐えた臭いはあまり快適ではなかった。手すりのすぐ下の海面は濁りに濁り,灰汁のようなものが縞模様に集まり,そのあわいをクラゲがたくさん漂っていた。欄干に凭れ,煙草を吹かし(この駅にも喫煙場所があった),しばらく海を眺めた。誰もいない。来てよかった。バッハのイタリア協奏曲 BWV 971 とコラール前奏曲 "Ich ruf'zu dir, Herr Jesu Christ" BWV 639 をちょうど聴き終えたころ,東芝の社員と思われる人達がぞろぞろ現われた(この駅は東芝敷地内にあり,社員でないと出ることができないらしい)。時計を見ると鶴見行き出発時刻にあと少しだった。

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帰り,鶴見から川崎に出た。買い物客で溢れ返るメガストア・川崎 LAZONA に立ち寄り,丸善で二冊本を買った。汗だくになり,腹が減ってどうしようもなかったので,惣菜屋でコロッケを二個,買食いした。約 8,000 歩の散歩だったが,これでダイエットのためのカロリー消費はすべて無意味となった。


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Béla Bartók: The Miraculous Mandarin; Music for Strings, Percussion & Celesta
P. Boulez (Dir), Chicago Symphony Orchestra.
Deutsche Grammophon (1996-04-09)
Béla Bartók: Violin Concerto No. 2; Rhapsodies Nos. 1 & 2
Kyung-Wha Chung (Vln), S. Rattle (Dir),
City of Birmingham Symphony Orchestra.
EMI (1994-05-24)