NEON GENESIS EVANGELION

ツタヤ・オンラインで『新世紀エヴァンゲリオン — NEON GENESIS EVANGELION Vol. 01』をレンタルした。私はアニメが嫌いではない。

メカあり,ロリあり,ショタあり,エロありで,私たちの世代が想像力の赴くままに好きなものを好きなだけ投入したところが魅力になっている。好きなものだけを惜しみなく自由に。知的でないとか,下品だとか,大人げないとか,そういうスノビズムに惑わされず,好きなものを想像力で純化したい。こういうところから,この作品のエンディングテーマにある,綾波レイが月夜の水中に逆さで回転・浮遊する,あのエロティックで幻想的な映像(日本人にとってはある意味でシェークスピアのオフェーリアよりも美しい)が可能になるのだ。

徹底的に非現実的なメカニック,美女のオンパレード。戦闘メカがまるで儀式でもあるかのようにいろんな非効率極まりない設備・機構を経て出撃するシーンが出て来ると,「これだよ,これ!」と手を打ちたくなる。『ウルトラマン』以来のよき伝統である。その一方で,同時代風俗を象徴する街の看板や,さりげなく足裏を掻く主人公といった妙にリアルな卑俗画を挿入する構成が,日本アニメ独特の諧謔,人なつっこさをうまく表現していると思う。

高校のころ,『機動戦士ガンダム』が放映され人気を呼んだ。子供っぽいとバカにして,私は観ることはなかった。『ガンダム』の思想性にかぶれていた中学からの友人がオートバイ事故で亡くなって,いよいよロボットもの SF アニメを疎ましく思うようになってしまった。なのに,『ガンダム』やこの『新世紀エヴァンゲリオン』がいまだに底知れない支持を得ているところをみると,亡くなった友人が懐かしく思い出されると同時に,少し疎外感を感じてしまう。

私は中学のころ『週刊・少年チャンピオン』の読者だった。手塚治虫『ブラックジャック』や山上たつひこ『ガキデカ』,水島新司『ドカベン』をリアルタイムで読んでいた。望月あきらの『ローティーンブルース』やミステリーものが好きだった。いまだに『ブラックジャック』がマンガの最高傑作だと思っている。ところが,高校時代以降,アニメ,マンガをほとんど見なくなってしまった。大学のころは『うる星やつら』のような,可愛らしい少女と少年が危うい関係を保ちつつ展開するちょいエロな,型に嵌ったラブコメディが流行であった。私はこういうのを毛嫌いしていたのだ。「青春エッチもの」— 私は『うる星やつら』に代表されるマンガ作品をそう分類していた — は 1980 年代日本の腐った趣味の象徴だった。そのおかげで私はアニメ,マンガに抵抗観を植え付けられてしまったのである。

最近,「少年なんとか」のマンガ雑誌が低迷し,廃刊に追い込まれつつあるという。大人も公衆の面前で堂々とマンガ本を読むこの少子化時代(就職して上京し,地下鉄車内でハゲおやじが少年マガジンを読んでいる姿を見て,私は目が点になったものだ)には,軸足がもっと上にあるということなのだろう。マンガ文化が成熟した証かも知れない。私にとってもアニメ,マンガをもう少しフラットに鑑賞できる時期なのかも。