北野武監督の『Dolls』

妻がツタヤで借りてきた DVD を二人で観た。北野武監督作品『Dolls』(2002)。桜,紅葉や雪の風景に魅了された。菅野美穂の表情だけの演技が素晴らしかった(狂女を演じさせればいま日本でいちばんの女優だと私は思う)。「無意味な死」を印象づけられるという意味において愕然とさせられる残酷な映画であった。

私はこの映画を観て,何故か中西進の『狂の精神史』を想起した。北野武と古典という取り合わせは意外ではあるが,文楽の道行き,人形という作品のモチーフは,無意味にみえる死のイメージがなにかに憑かれたような死の日本的伝統に繋がることを示唆しているから。それだけでなく,ここに認められる無意味さが日本人の「狂」の現われだと思われたから。中西の著書には実は近松の浄瑠璃の「狂」を論じたくだりはなかったのだが,同じコンテクストで私は捉えてしまった。そういう「狂」の発現としてこの作品に動かされたのだ。つまり「無意味な死」というのは,現代市民社会の観点での見方でしかない。これをヤクザの抗争やアイドルの追っかけといった現代日本の隠微な姿に絡めてみせるところが北野作品の面白いところだと思う。

この作品は外国人には文字通り「無意味な死」のニヒリズムと映るのではないかと私は思う。しかし,北野武の映画がロシアやヨーロッパでかなり高く評価されているのを目にするにつけ — ロシアではクレムリンの近くに設置された北野の巨大な広告が話題になった —,あながち日本独特の生死観だけで説明できない普遍的な美学があるのかも知れない。
 

Dolls
バンダイビジュアル (2007-10-26)