米原万里『オリガ・モリソヴナの反語法』

ロシアは旧ソ連時代,1930 年代後半から 1950 年代前半にいたる間,スターリンの恐怖政治によって粛正の嵐が吹き荒れた。根も葉もない罪状で強制収容所に投獄されたり銃殺刑に処せられた。ソ連のアネクドートに次のようなものがある。

ラーゲリで三人の囚人がなぜここに来たのか理由を語り合った。
囚人A:私はポポフを批判したために投獄された。
囚人B:私はポポフを礼賛したために投獄された。
囚人C:私がそのポポフだ。

ソ連のひとびとは信頼できるひととの間でのみ,このようなジョークをこっそりと耳打ちし合いながら,笑っていたのだ。官憲に摘発される可能性があるため,決して書き物で流布することはなく,口伝えに広まった。

米原万里の『オリガ・モリソヴナの反語法』はスターリン時代を生き抜いた女性の壮絶な物語である。しかし一方でロシアのこうしたジョーク精神が力強く漲っている。「去勢ブタは雌ブタに跨がってから考える」などの考えの浅い者に対する罵倒も,哄笑とともにロシアの痛切な悲哀を秘めている。その時にはもうラーゲリ送りというわけか。

収容所に囚われた者たちが,本のない環境にあって,かつて読み諳んじた物語を暗唱して聴かせ合うシーンがある。ドストエフスキイ,ゴーゴリ,トルストイなどなど。ロシアのインテリの凄まじい知力。アネクドートにみられるように,不用意なメモが命取りになるソ連時代ではとにかく記憶するという営みが生きることであった。『生きよ,そして記憶せよ』という題名のロシアの小説がある。

先頃亡くなった巨匠ムスチスラフ・ロストロポーヴィチの面白い逸話が本書で紹介されていた。彼は喰うに困ってもっぱら大工のアルバイトで糊口を凌いだ。その超一流のチェロ演奏で稼ぐことはしなかったそうである。それは知らず知らずに客への迎合癖が身について音楽を致命的に損なうからだという。ソ連崩壊前夜のクーデターにおいて自らカラシニコフ銃を手にして自由派とともにその拠点に立てこもったこの芸術家に相応しい。

この書物は,謎めいた人物を追い求めることがすなわち謎めいた時代の探求であり,いまこの時代の認識でもあるということを示す。思想的に抑圧されながらも闊達だったソヴィエトの学校と比較して,日本の学校 — マルバツ式の試験,返された答案をこっそり確認する生徒,受験だけを目的とした教育 — は千篇一律であってソ連以上に社会主義的であるとの指摘が巻末の対談にある。

ここ何年かで読んだなかで大いに笑わせ,泣かせてくれる数少ない作品のひとつである。つまりそれは最高の物語の属性なんである。このような本が日本人によって書かれたことは奇跡だと思う。

米原万里はそのほかいくつも楽しい本を残した。昨年の5月に亡くなったのは本当に残念である。