中田選手のサッカー選手としての現役引退表明の話題でもちきりのようである。ファンに宛てたメールとして,七月三日に自身のホームページに掲載されたこの表明は,スポーツ界を越えて反響を呼んでいる。まだ二十九歳であり,あと数年は一級のプレーヤとして活躍できると思われるのにもかかわらず,ワールドカップを期にこうした決断を公にする切替えの早さ,白黒はっきりと清算しようとする不敵さは彼らしいと思った。
文章を読むと,しかしながら,彼の意外な側面が垣間見えて,動かされるものがあった。「とある小学校の校庭の片隅」に始まる,半生の簡潔な総括。人生を旅に喩えるという,芭蕉の『奥の細道』にもあるような日本の古典的な人生観。冷静さ,ドライさをとかく指摘されることの多い彼の性格描写に反して,彼の文章は,実はロマンチストだったんだ,ということを印象づける。もうひとつ,さらに意外だったのは,「新たな自分探しの旅」というフレーズ。自分を見失ってしまったということの告白なのだろうか。「自分探し」なんて言葉は,いま目の前の問題に目をつぶる高校生か大学生の,青臭い自己陶酔の現われだと私は思っていた。これはそうではない。サッカープレーヤとしての人生はいずれ早々に体力の衰えとともに終結せざるをえない。彼の「自分探し」は,その認識ゆえの人生の白紙撤回なのだという恐ろしい意志を感じる。
また別の形で素晴らしい仕事ぶりを見せつけて欲しいと思う。