ロシア・東欧の作曲家 since Dec.30 2002 |
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ストラヴィンスキー このファンタスティックな作曲家の持ち味は、春の祭典やペトルーシュカに見られる生の充溢、躍動だけではない。私はどちらかというと小編成のオーケストラや室内楽のための魔法お伽話的ミニアチュアが好みである。
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室内楽集 墓碑銘、ヴィオラ・ソロのためのエレジー、弦楽四重奏のための小品は才気に溢れる。感傷を排した抒情とオブジェのような音の形象。ストラヴィンスキーのもうひとつの側面ではないかと思う。手に入るレコード自体数少ないけれども、アンサンブル・アンテルコンタンポランのメンバーの演奏が秀逸と思う。ヴィオラ・ソロは名手ジェラール・コセである。LPでしか聴けない。
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オルフェウス
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ミューズを率いるアポロン 「オルフェウス」「ミューズを率いるアポロン」は作曲家のギリシア的清澄・明朗への志向をもつ傑作である。古代ギリシアの神話的世界は複雑な人間的暗黒を一言のもとに表現する求心力をもっている。19世紀末から20世紀初頭において活躍したロシア象徴派詩人ヴャチェスラフ・イヴァーノフの透明な詩と同じく、アルカイックな世界への回帰はロシア・ルネッサンスの特徴のひとつではないだろうか。逆説的ではあるが、それゆえにこそストラヴィンスキーがロシアの作曲家であることを強く感じる。
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兵士の物語 ストラヴィンスキーはこの曲のテーマがよほど気に入っていたと見えて、室内オーケストラのための組曲、ヴァイオリン、クラリネット、ピアノのための組曲とアレンジしている。「こんな音楽を」というイメージは誰しもあって、悪魔が弾くヴァイオリンというモチーフは作曲家の音楽的幻想にはまるものがあったのであろう。シェーンベルクの「ピエロ」にも同じ趣向を聴きとることができて、この時代の狂気の表現だったのかもしれない。
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春の祭典 初めて耳にした時は全く理解できないただの騒音であったが、ある時稲妻に打たれたかのごとく20世紀音楽の最高傑作であることを確信するようになった。そう、音楽は安逸に浸るためにあるのではない。この盤は発売当時非常に評判になったもので、私も文字通り驚愕した。今に至るもやはりドラティが最高である。
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春の祭典 ドラティもよいがコリン・デーヴィス盤も音場の厚みでは捨て難い。
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ペトルーシュカ 「春の祭典」と並んでこのドラティ盤は発売当時絶賛された。ドラティの指揮は、まるですべての楽器をひとりで弾いているかのような統制感がある。
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ショスタコーヴィチ ショスタコーヴィチの音楽に私が抱くイメージは果てしなさである。果てしない悲劇、果てしない労苦、果てしない絶望、果てしない笑い、果てしないアイロニー... 時に付いて行けなくなる。「ロシアでは400キロは距離でない、マイナス40度は寒さでない、アルコール40度は酒でない。」 そのように、就職して上京したころ、一様につまらなさそうな顔をしたオヤジたちで息詰まる満員電車、鼻がひん曲がるかと思われる地下鉄の臭気 — 東西線の茅場町駅のことだ。恐ろしいことにいまや慣れてしまって何も感じなくなってしまった —、毎日毎日終電まで働き、文字通り寝るためだけに帰宅する生活、このような生き埋めのような煉獄にいつまでいるのかと気が遠くなったものである。この生活、この世界は破滅へと向かって行進するカーニバルか。しかしそんな時代の暗い予感でさえ時に美しく感動的である。仕事の辛い時に少し自虐的になって聴くとよい。
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弦楽四重奏曲第7番、第8番、第11番、第13番 13番はヴィオラが不吉にして美しい。この作曲家の最高傑作のひとつだと思う。ショスタコーヴィチの弦楽四重奏の演奏は他にもフィッツウィリアム SQ やボロディン SQ による素晴らしい盤があるが、この一枚でタネーエフ SQ 盤が私にとってのベストである。
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弦楽四重奏曲第15番 全曲を通して流れる悲痛な弦の調べ。S.ヴォルコフが編んだ「ショスタコーヴィチの証言」を読みながら、偉大な音楽家の晩年を思って噛みしめるように、このレコードを聴いたものである。
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交響曲第5番ニ短調作品47 この曲は金管をぶっぱなす感じの乱暴な演奏が多いように思う。そのなかでコンセルトヘボウの演奏は少しもケレン味がなく中庸、正確さを志す。けざやかな音像が描く荒涼とした憂愁に深い感動を覚える。
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交響曲第14番「死者の歌」作品135 弦楽、打楽器と声による、底なしに暗い一風変わった交響曲。キューヘリベケルの書簡詩が採用されているところがロシア詩を学んだ者にとって面白い。メリハリの効いたアーティキュレーションが素晴らしい。5番とともにコンセルトヘボウのパフォーマンスの凄さを感じる。
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ピアノ五重奏曲 フーガ、間奏曲の穏やかで親密で哀切な旋律はストレートに心に響いてくる。
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ヴィオラ・ソナタ作品147 ヴィオラという楽器はロシア人の感情表現によくマッチするようだ。作曲家の遺作であるこの曲は、雨の日の孤独な室内の憂鬱な幻想とでもいうべき味わいがある。夢幻的なピアノと明快な線のヴィオラの対話が印象的な演奏。
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ヴァイオリン協奏曲 第1番の息の長い夜想曲とパッサカリアはこの作曲家が書いたパッセージのなかで最も抒情的で美しいもののひとつであると思う。とくに第三楽章パッサカリアでの、イングリッシュホルンとの掛け合いの上に天翔る独奏ヴァイオリンの悲痛な音調を聴くと、思わず涙がこみ上げて来る。シトコヴェツキー独奏によるこの盤は泣かせてくれるお気に入りである。
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プロコフィエフ グロテスクと優美の夢幻的な結合というのがこの作曲家の最上の部分を特徴付けるものと思う。相反するものが一定の関係において同居することによって芸術的意義がダイナミックに膨みを増す。5番の交響曲のアダージョやニ長調のヴァイオリン協奏曲、ヴァイオリン・ソナタには夢見るような本当に美しい瞬間がある。
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交響曲第5番変ロ長調作品100 第3楽章は酷寒の夜空に降りるオーロラのような神妙な調べがある。これを超える新しい演奏を探しているが見当たらない。
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ヴァイオリン協奏曲 ミンツの輝かしく優美な音の線が最も真価を発揮しているレコードなのではないかと思う。
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ヴァイオリン協奏曲 チョン・キョンファの録音は、グロなほうのプロコフィエフの志向を強調したタイプで、悪魔的な凄さを感じさせる名演奏だと思う。
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ヴァイオリン・ソナタ ドストエフスキーが「罪と罰」で描いた、センナヤ広場の俗悪な下層社会に見出された冒しがたい華・ソフィヤのような、というか、吐き気を催す醜悪な世界に立ちのぼるが故に、神秘的なまでに高められる香気というか、そんな貴い束の間の感動がある。
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現代ロシアの作曲家 1986年のベルリン芸術週間「モスクワの今日」において、ソヴィエト体制下に覆いを被されていたロシアのプログレッシブな現代音楽の一端が紹介された。いずれも寡黙で寓意に満ちた超越的な音響が非常に印象的であった。そこで知った作曲家の私のお気に入りを少し。
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Е. フィルソヴァ(Е. Фирсова) 12は様々な想像をかきたてる数字である。キリスト使徒の12、アレクサンドル・ブロークの「12」、はたまたイリフ=ペトロフの「12の椅子」の12。この曲は、現代ロシアにあって何を示すのか、象徴的な音の空間が素晴らしい。
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А. シュニトケ(А. Шниттке) 難解ではあるが、明らかに現代ロシアを代表する作曲家である。非常に印象的で痛みを覚えるような音楽だ。
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А. シュニトケ(А. Шниттке) 弦楽三重奏は、G.クレーメル率いるロッケンハウスの仲間たちの演奏で横浜音楽堂で聴いたのが凄かった。レコードではこれ。
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А. ペルト(А. Пярт) アルヴォ・ペルトの幽寂・霊妙とした音楽を前にしては言葉を失う。"De profundis clamavi, ad te Domine." 深淵より、主よ、私はあなたにあてて叫んだ...
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Д. スミルノフ(Д. Смирнов) フルート、ヴィオラ、ハープとソプラノによるアンサンブルは日本風の枯淡な趣を醸しつつ、しかも密度が高く、ベルリン芸術週間「モスクワの今日」で最も印象に残った曲のひとつであった。ジャニス・ハーパーのソプラノ、アンサンブル・モデルンの演奏が素晴らしかった。 86年当時にFMから録音したカセット・テープで聴くよりほか手立てがなく、その後長らくレコード演奏を探し続けていた。最近になって Meladina Record というレーベルでこの「四季」の録音が出ていることを Web サイトで見つけた。ところが Amazon やら Towerrecords やらさんざん探し回ったがどこも取り扱っていない。「ユビュ王の食卓」の主のご助言もあり、最後にそのサイトの Web マスタにメールを書いて問い合わせたところ、何とスミルノフご本人から返信があり、英国から送付していただいたのである。 このレコードはスミルノフのプロモーション用であり、演奏は私が聴いたベルリン芸術週間とまさに同じものだ。録音は手持ちの機材でこだわりなく行ったようであまり感心できるものではない。CD−Rに焼かれていて、ジャケットデザインからライナーからすべて手作りのようである。買ったというより分けていただいたというのが正直なところである。「四季」以外にも無伴奏ヴァイオリン・パルティータ、ヴァイオリンと弦楽オーケストラのための協奏曲、デニソフの死を悼んで作曲されたエレジーなどのCDも合せて入手し、簡素なエレガンスとでもいうような味わいのある曲にも触れることができた。
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Е. デニソフ(Е. Денисов) ヴィオラを中心とした室内楽の音の断片はモダンで、他の現代ロシアの作曲家より西側の現代音楽ファンの嗜好に合うと思う。演奏しているロシアのモスクワ現代音楽アンサンブルは、フランスのアンサンブル・アンテルコンタンポラン、ドイツのアンサンブル・モデルンと並んで、現代音楽演奏のエキスパートとして名高い。
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Н. ロスラヴェツ(Н. Рославец) スターリン時代を生きたロシアの作曲家にこれほど瀟洒な、陶然とする抒情がありえたことが驚きである。これこそ絶品。それはアレクサンドル・グリーンの夢 — 果たせぬ夢か — のような小説を読んだ時の感動と似ている。ヴィオラを2本使うところが心憎い。
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バルトーク 年齢を重ねるにつれてその音楽の深さが身に沁みてくる。困難な時代にあって、誠実に仕事を全うしようとする人間精神に打たれる。
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弦楽四重奏曲 この6曲のセットは、20世紀の初めの30数年、政治的にも文化的にも地殻変動の激しい厳しい時代の音楽的パノラマの観を呈しているといってよい。それほどに音楽技法、感性が研ぎ澄まされて敏感である。
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弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽 ユニークな編成と古典的形式による大曲。ストラヴィンスキーの「春の祭典」、シェーンベルクの「ピエロ」とならんで20世紀音楽の代表傑作ではないかと思う。
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管弦楽のための協奏曲 バルトークの作品のなかでは最も親しみ易いもののひとつではないかと思う。戦後の現代人の憂愁と静かな精神的闘争を感じる。
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管弦楽のための協奏曲 ドラティのバルトークに寄せる深い共感が感じられる。ショスタコーヴィチのシンフォニーとともに、コンセルトヘボウの最良の盤だと思う。インテルメッツォの優雅さは特筆すべきものがある。
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ピアノ協奏曲 ピアノの独特な扱いにおいて難解な作品のひとつ。最近ポリーニとブレーズで興味深いライブを聴いた。
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ヴァイオリン協奏曲第2番 シベリウス、プロコフィエフ、ベルク、シェーンベルクと並んで20世紀ヴァイオリン協奏曲の最高傑作のひとつ。チョン・キョンファの情熱的かつ尖鋭な感覚が最も効果を発揮している盤。
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ヴィオラ協奏曲(遺作) この曲は作曲家の最晩年の作品で、スケッチをもとに弟子がオーケストレーションを追加したとのことであるが、バルトークの民族的・祝祭的特質がよく出ているのではないか。ベンヤミニとバレンボイム、パリ管の明るい演奏。
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ヴァイオリン・ソナタ
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ヤナーチェク
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弦楽四重奏曲第1番「クロイツェル・ソナタ」 20世紀の熱情の最も美しい表出のひとつだと思う。昔ブダペスト SQ のベートーヴェンについて「松脂が散るのが見えるような名演」という評を読んだことがある。このスメタナ SQ のドボルザーク・ホールでのライブ録音はその評を思い出させる。特に「クロイツェル・ソナタ」第4楽章は息を呑む凄い演奏である。
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「霧の中で」、「草陰の小径を通って」ほかピアノ作品集 ヤナーチェクのピアノ作品はその名のとおり、草陰の小径を行くなか、思わず美しい夕陽や草花の芳香に遭遇するような楽しみがある。ピアノと室内楽のコンチェルティーノなどの形式的新しさも見逃せないのではないだろうか。
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