もしもし、中村さん?
since Jun. 1 2001

書斎(自称)に新しく電話を引いた。ファクシミリを受けるためである。電話番号がふたつあると一方で電話をかけている最中にもう一方でファクシミリが受けられるし、パソコンでインターネットにも繋げられる。

その日から、「中村さんのお宅ですか」とマチガイ電話がしばしばかかってくるようになった。

その声の主は様々で、思わせぶりな疲れた女の声もあれば、下心を感じさせる不動産業者であったり、脅しを含んだ声色の男(やくざ?)であったりした。相手を確認しないでいきなりどなりつけられたこともあった。なまりの強い外国人のときもあった。そう、普通のサラリーマンである私の生活の領域では聞かれないであろうような声も含んだいろいろの声が、中村を期待して受話器の向うから私(または妻)めがけてやってくるのだ。

中村さんてどんな人だろう。いろんなつき合いがある(あった)ようだ。バラエティに富んだそれら電話の声々の円環の重なるところに浮かび上がる人格を思い描いてみる。よく分からない。文句を言いたいので、ということでNTTに中村の住所なぞ聞いてみようか。すぐに無意味な思いつきであると分かる。しかしながら、電話番号の解約を知人に告げもせずいい加減な野郎だ。あるいは女だ。

おかげで、私(または妻)は、せっかくファクシミリを受信できるようにしたつもりが、ファックスは全く送られてこないで、そのマチガイ電話の応対をさせられてばかりということになってしまったではないか。いい加減にしろ。

そのうち、よいことに気がついた。わが家のファクシミリ装置は着信すると自動的に応答して留守番電話もしくはファクシミリに切替を促す機能があり、これでいちいちマチガイ電話を取らなくても勝手に機械が相手をしてくれる。早速マニュアルを片手に設定をした。留守番電話には「私は中村ではない!」と冷たく吹き込んだのは言うまでもない。静かな生活が訪れた。おおげさか。

機械は仕様どおりに自動的に電話を取り、「私は中村ではない!」と私の声を発してくれ、多くの呼は何も応えずに納得して去っていった。ファクシミリがギーコギーコと印刷されはじめる場合もあった。たまに自動応答の様子を聞いていると、これもいろんなパターンがあって面白い。

「もしもし、中村さんですか?」

「私は中村ではない!(ピー)」

「・・・」

「もしもーし!」

「私は中村ではない!(ピー)」

「ケッ!」

たまに私の中村ではない!がよく聞きとれなかったのか、中村宛に留守番電話を録音していく人もいた。

「もしもし、あの、やまぐちなおみというものですが・・・」

「私は中村ではない!(ピー)」

「あの、あ、はじめまして、やまぐちというものですが、お礼がしたくてお電話さしあげました。財布、拾っていただきありがとうございました。またこちらから改めてお電話を致します。」

なんとも優しそうでいながら心の強そうな若い女性の声で私はなんとなく感動を覚えた。そういうこともあった。

人間の性というものは不思議なもので、中村目当ての訪問者もなければないで少し寂しくなる。 私は日曜日ひとり書斎(自称)で本を読んだり、パソコンでWebサーフィンを行うとき、こっそり妻には内緒でファクシミリ装置をもとのようにこちらが受話器をとって切替えるモードに設定しなおすようになった。あとで自動切替えモードに再設定しておくのである。

「あのー、中村さんでしょうか?」

「違います。」

「すんませーん。」

私は相手の顔が見えないのにつき動かされたのか、つい悪戯心から、中村の振りをしはじめるようになった。

「もしもし、中村様のお宅でしょうか。わたくしたなか商事のうえだというものですけど・・・」

「ハイ、中村ですが。」

「実はいま弊社ではキッチンキャンペーン中でして・・・」

話を聞いていると、どうも洗剤やらたわしやらの業者で、キャンペーンで当たったあんたはラッキーと称し、サービスをかこつけて何年分もの余計な台所用品を売りつけようとしているようである。

「これからお伺いしとう存じますがよろしいでしょうか?」

「どうぞ、短い時間ならいいですよ。」

「ご住所は、ええと、幸区鹿島田65でらっしゃいますよね。」

なんと中村の野郎、この近くに住んでいやがるのか!オレもひでえやつだと良心の疼きを覚えたが、中村がどのように応対するか興味があった。しかし当てが外れた。しばらくして再度うえだから電話があった。

「お住まいのほう、ちょっと見当たらないのでご案内いただきたいのですが・・・」

中村はもはや幸区鹿島田65の住人ではないらしい。それも当然のような気がした。

「うちは中村ではありません。おかけ間違いではありませんか?」

以上。うえだはちょっといぶかしむ様子であったが、慣れた感じで引きとった。

「もしもし、あの、以前お電話さしあげたやまぐちというものですが・・・」

なおみさんである。律義な人だ。声ですぐ分かった。

「はい、何の御用でしょう。」

「財布を拾っていただきありがとうございました。是非お礼をしたいと思いまして。よろしければお宅にお伺いして直接申し上げたいのですが・・・」

「まあ、結構ですけど」

「ご住所は警察の方からは川崎市幸区鹿島田65と伺っておりますが、最寄りの駅からはどのように参ればよろしいでしょうか。」

私は、とっさにこうしゃべっていた。

「私の家は込み入ったところだし、駅からも遠い。差し支えなければJR横浜駅ビルのリバティという喫茶店で待ち合わせましょう。」

それは私が通勤の途中で見知った店であり、近所の人に出くわすことはまずなかろうと思われたのである。日時とお互いの目印を取り決めて、電話を切った。

「顔に中村、って書いときますからすぐ分かります。」

冗談である。レッサーパンダの帽子を被って行くということにした。

オレもひでえやつだと良心の疼きを覚えたが、もう遅かった。なおみさんは間違いなくリバティにやってくるだろう。

4月1日、日曜日。約束の日がきた。それは妻の出かける日であることは予め知っていた。

私の行動はこうと決めていた。待つなおみさんを遠巻きにしばらく観察した後、中村の代理と名乗り出て、預った贈物という趣旨で —— 本当はだましたお詫び —— 横浜のとある店で仕入れた絵皿セットの包を手渡す。中村は事情があって今日これなくなった、ついては連絡先を聞いておいてくれと言遣っている、中村から再度連絡させる旨述べる・・・

私は決めておいたとおり遅れて店に入った。

目印の白い帽子を探した。

いたいた。後ろ姿は私の気に入った。

おもむろに近づいて、もしもしと問うた。

振り向いた白い帽子は、どこかで見たことのある女だった。

それは、妻だった。

「ずいぶん待たせたわね・・・」

「きみはもしかして、中村に会いにきたのかい?」

「あなた、何を言っているの?」

その日、妻と久しぶりにデートをした。

春の宵、ほのぼのと霞が漂う港町を、腕を組んで歩いた。

元町の料理屋で串揚げとワインを食した。旨かった。

 

(May.31 2001 初稿)