現代日本の作曲家 since Dec.30 2002 |
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武満徹 武満徹の慎ましく深い音楽は、近代以降の音楽史のなかで唯一霊的と形容してよいものではないだろうか。私にとって、暗い予感に満ちたこの世界にあって、次に来るべきものへの祈りである。 94年だか95年だかに、東京クヮルテットの演奏会に足を運んだ際、ブレイクタイムにロビーで武満徹を見かけたことがある。ただひとり佇み、人差し指を忙しなく弄んでいる孤独な姿が印象的であった。
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弦楽のためのレクイエム
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悲歌
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リタニほかピアノ作品集
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三善晃 三善晃は、日本の近・現代文学が西洋からの輸入品のヴァリアントであるがゆえに帯びた幸と不幸を音楽で体現した、と私は勝手に感じている。その素晴らしさもつまらなさも他人事ではないものがある。
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ヴァイオリン・ソナタ ソナタ第2楽章のアダージョはほのかな恋心か。
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弦楽四重奏曲第2番 日本の西洋風無調音楽のなかでは集中力で他を圧倒する一曲だと思う。
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吉松隆
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朱鷺によせる哀歌 1982年N響のコンサート中継で聴いた。日本人が自分自身の深いところにある本性から導き出した純粋な音の形象に圧倒的感動を覚えた。この1曲で吉松隆は、感動よりも驚きを指向する日本の現代作曲家たちを蹴散らして、忘れられないひとりとなった。最近、門光子の演奏による「プレイアデス舞曲集」からのピアノ曲のCDを聴いた。明るい夢のなかで風に吹かれるような孤独な幸福感を覚えた。
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高橋悠治
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Insomnia 1996年冬私は、肺病で左胸に水が溜まり、膿のため鼓膜が裂けて左耳がまったく聞こえない状態で3ヶ月以上の間病床に釘付けになってしまった。モノラルのポケットラジオを右耳に押しつけてNHK−FMを聴いたものだった。 そんなある夜、ギドン・クレーメルと吉野直子のデュオ・リサイタルの模様が放送された。ヴァイオリンと声と箜篌(くご)による Insomnia は、そのうちの1曲であった。眠れない夜という。ヴァイオリンと箜篌の東洋風ののどやかな音調のなかで、演奏者が何やらロシア語の詩を — ベッソーニッツァ(不眠)という単語しか聞き取れなかったが — 朗読している。眠れずともよいではないか、いずれ時間は過ぎていく... 見習の若い看護婦が、私の左向かいのベッドにいる、担当のくも膜下出血のリハビリ患者であるEさんのところに、夜の検温に廻って来た。 このライブ録音はその後フィリップスからCDとして発売された。そのライナーノートで私は、詩がマンデリシュタームのものであることを知った。スターリン体制下で眠れない夜を幾夜も強いられたロシアの詩人。著作集を手にして私もその詩をゆっくりと朗読してみた。もちろん詩におとみさんは登場しない。
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