ドビュッシー、ラヴェル since Dec.30 2002 |
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ドビュッシー 私はマイナー志向というわけではないが、ドビュッシーの作品のなかでは「映像」や「牧神の午後への前奏曲」などの疑う余地のない傑作よりも「ビリティスの歌」「花の乙女」などの声楽や室内楽の方が好みでしばしば聴く。マラルメやピエール・ルイスの詩に基づく音楽はこの作曲家の文学的な本性をより直截に表現している、と思うのは私だけではないはずだ。
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室内楽集 特にチェロ・ソナタが素晴らしい。数々の巨匠の演奏よりもジュール・エスキンとマイケル・ティルスン・トーマスの粋なアンサンブルが私の好みである。
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「ビリティスの歌」朗読のための付随音楽 女優カトリーヌ・ドヌーヴの朗読とその合間を縫って流れる明るく軽やかな木管とハープのエピソードという形式そのものが瑞々しい。
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花の乙女 ダンテ・ガブリエル・ロセッティはラファエル前派の画家として高名で、その詩に音楽を付けているのは面白い(詩人としては妹のクリスティーナの方が幾ばかりか名を残しているのではと思う)。おそらくはドビュッシーはその絵画のロマネスクをもテクストと同時に音楽に盛り込みたかったのかもしれない。ギリシア的官能と中世的物語性が豊かに融合した美しさにうっとりとする。
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歌曲全集 なかでも「ビリティスの三つの歌」は淡いエロティスムに身も心も陶然となってしまう。
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ラヴェル プルーストの「失われた時を求めて」には主人公がマドレーヌを口にして過去の記憶をありありと想起する有名なくだりがある。私の場合もラヴェルを聴くと、同じように、幼いころ読んだアンデルセンのお伽の絵本やら、手塚治虫のリボンの騎士やら、パルナスのケーキ(関西の30代以上のひとには分かると思う)やらが立ち現れるのである。笑うなかれ。
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ステファヌ・マラルメの3つの詩 マラルメの詩「溜息」のとおり、溜息が出るほど美しいとはこのことではないだろうか。ソプラノ、フルート、クラリネット、ピアノと弦楽四重奏という編成そのものが室内楽の親密さと多様さを堪能させてくれる。難解といわれるマラルメの詩3編の興味深い音楽的解釈である。シェーンベルクが「ピエロ」で行った声楽と室内楽による大規模形式の試みの向うをはったものといわれているが、ウィーンの作曲家と比べると、ラヴェルの場合その明るい優美さ、詩のインテリジェンスが特徴的で、お国柄の違いが如実に現れていて面白い。
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ヴァイオリン・ソナタ ウィッティで洒脱なソナタ。優しさ、スマートさでやっぱりミンツがいいと思う。
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弦楽四重奏曲ヘ長調 ラサールは、ひとりひとりのテクニックはさほど感心しないが、その音色、ディナーミクの粒だち、バランスの均一さにおいてアンサンブルの真価を発揮するタイプの四重奏団だと思う。新ウィーン楽派やベートーヴェンの演奏が有名であるが、私はこのドビュッシーとラヴェルが彼らの最良の盤ではないかと思っている。ラヴェルの3楽章の欝に沈んだ音調から明るい中間部が立ち上がってくるところの軽やかさなど、えもいえぬものがある。
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マ・メール・ロワ、亡き王女のためのパヴァーヌほか これは、過ぎ去って初めて気付く何か、「恋と気付かないで恋した夏」、大人がふと迷い込み、気付いた時には日常生活に回帰しているような、束の間のお伽の国である。クリュイタンスもいいけれど、デュトワの盤がお気に入りである。村上昴の描いたロマネスクなジャケット画もとても気に入っていて、私の大切な一枚である。
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