もうひとつの文房清玩 since Aug.24 2002 |
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私も音楽が好きで、学生のころからレコードは本と同様、財布の中と見比べつつ買い求めては、思いもよらない感動を覚えたり、それまで気付かなかった発見をすることもあり、またあるときは期待はずれにがっかりすることもあった。よってもって再生装置にも人並に投資してきた。LPやCDにかけるお金の3割にも満たないが、いい音楽のためにそれなりに注意を払ってきたつもりで、万年筆やライタ、PCのキーボードと同様、文房清玩を気取りたいところもある。 音楽はそのときどきの生活のリアリティと結び付いており、— 私は決してオーディオマニアというわけではないけれども — それを鳴らす機械にも思い入れがあろうというもの。
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プレーヤ 1 プレーヤ、カートリッジともにロングセラーの定番である。ターンテーブルはDJ御用達というだけあって堅牢で、いきなりのフォルティッシモも破綻がない。バッハもアルバン・ベルクもピンク・フロイドもジャック・ルーシエも中島みゆきも率なく鳴る。それ以上いうことはない。カードリッジに合わせてアームの高さを調節できるのはたいへん優れた特長ではないかと思う。とはいえ、いろいろカートリッジを取り替えて音の違いを楽しむなんて余裕は私にはない。 アナログレコードはその音もさることながら、ゆっくりと回転する30cmの黒い円盤を針が擦過する様の危うい均衡感、壊れやすい雰囲気がなんともいえず好きである。映画「ツィゴイネルワイゼン」で大谷直子扮する妖艶の未亡人がサラサーテの盤に針を落すシーンがひどく印象的で、クラシックレコードを掛けるときには、その頽廃的なイメージがいまだに私の脳裏をよぎる。
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プレーヤ 2 高校2年のとき、大阪日本橋の電気屋のおっちゃんに、「オルトフォンのカートリッジが付いてんねんで、すごいで」と勧められて購入。その当時オルトフォンなんてブランドは知るよしもなかったのだけれど。 イーグルスのホテルカリフォルニアに針を落したときは、あの12弦ギターの哀切なメロディーがボーカルの裏で小止みなく奏でられるのに遅まきながらはたと気付いて感動した。爾来、社会人になり SL-1200 を手に入れるまでの20年間、私のなけなしの小遣いを砕いて買ったレコードを再生してくれた。クイーンのオペラ座の夜、ピンク・フロイドのザ・ウォールや、バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ、平均律クラヴィーア曲集、ブランデンブルグ協奏曲を、それこそ擦り切れるまで聴いたものである。 現在は、知らぬ間に回転レートが落ちていて時おり調整がいるのではあるがまだまだ健在で、DENON の DL-301 MC カートリッジで私の妻のためにコラ・ヴォケールなんかをプツプツいわせながらトレースしている。オーディオマニアは安物と鼻で笑うかもしれないが、これだからアナログはやめられないという気持ちを新たにさせてくれる。ちなみにトリオが現在のケンウッドであることをご存知の方はどれだけいるだろう。
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プレーヤ 3 Technics が 1970 年代後半に製造したプレーヤの逸品であると思う。高級機というわけではないが、その漆黒のボディに一点の木目調のスタートボタンという美しいデザイン、重厚なターンテーブルは私のかつての憧れのプレーヤであった。死蔵されていた美品を中古で見い出した。 ピッチ・コントロールすらないシンプルなマニュアル・プレーヤだが、2.9kg の重量をもつターンテーブルは安定感があり、電子ブレーキでぴたりと停止して使いやすく、アームの高さの調整も可能で、機能的には十分である。
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スピーカ 1 最初は硬くおとなしい感じだったが、購入して12年たったいまユニットがほぐれたのか、私の耳が逆になじんだのか、その木目調の端麗な姿に相応しい肌触りの音になってきたような気がする。バッハのピアノ、チェンバロもウェーベルンの先鋭な弦楽も艶やかに奏でてくれる。腹にずしんとくる低音は望むべくもないけれど、室内楽を最上とする私にとって、小音量でインパクトのあるピツィカートや冴えたハーモニクスが表現できれば、狭いわが家にはこれくらいのボリュームがちょうどよい。
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スピーカ 2 YAMAHA はかつて NS-1000M といういまだに絶大な人気を博する実力機を有していた。この NS-1200 はその従姉(女性に例えたい)にあたるとでもいうべきモデルであるが、NS-1000M がいかなるソースをもこなすオールマイティなモニタスピーカであったのに対し、NS-1200 はその木目の外観からも察せられるとおり、クラシック音楽向きに調整されたやや枯れた趣を漂わせる。 NS-1 Classics と比べると中低音をより朗々と響かせてくれる。音場の広がり、残響音の潤い、とりわけ弦楽オーケストラのベースのピツィカートの伸び、艶は素晴らしいものがある。とはいえその大きさといい、重さといい、狭いわが家には自己主張しすぎるところで、中古で仕入れた時に妻の罵詈雑言を浴びたのはいうまでもない。
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スピーカ 3 NS-10M に思い入れのある方は少なからずいらっしゃることと思う。YAMAHA はこのほか NS-1000M などの名機の生産を打ち切ってしまった。日本製再生装置の一時代が終り、その重点がいわゆるAVに移行したと考えるのは私だけではないと思う。 これも高校時代以来ずっと鳴らし続けて20余年、その間に社宅の湿った環境でウーファーが黴ようとも、飽きのこない奥行きのある音楽を与えてくれた。人にたとえれば、とにかく打てば響く切れ者という印象で、年季が入ってもくたびれることがない。
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プリアンプ 1 現在メインで使っている装置である。この C-2x も、別に述べている B-2x、B-6 も、1980年代前半の製品ではあるが、モノ作りに対する揺るぎない自信、さらなる高みへの志向といったような、軽薄短小な今日では見失われた意気込みが伝わってくる。YAMAHA がこれまで製造したもっとも優れたアンプのひとつではないかと思う。 私にとってかつてはこんなシロモノは高価すぎて、高嶺の華でしかなかったが、YAHOO オークションで私の月給でもなんとかなる価格で状態のよい中古品を手に入れた。 デジタル・オーディオの走りの時代の製品で「DAD(デジタル・オーディオ・ディスク)」なるセレクタがある(要するに CD)。一方で、MC/MM だけでなくいくつものインピーダンス・セレクタが用意されたフォノ・イコライザの充実ぶりは、いまだにLPをCDと同じくらい聴く私にとってありがたい。 この音の密度の高さはちょっとほかとは違う。私のように比較的小さい音で音楽を楽しむものにとっても、とりわけアナログレコードの再生音の清澄さ、繊細さ、潤いは感銘深いものがある。
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パワーアンプ 1 B-6 はそのピラミッド型の斬新なスタイルで日本製のパワーアンプのなかでひときわ生彩を放っている。手に入れて G.グールドのゴールドベルクを聴いた時は、フォルティッシモのパンチの効いた立ち上がりに、パワーアンプを変えるとこんなにレコード音楽の情報量が増えるのかと感心したものである。 ところがこのモデル、定格が8オーム以上のインピーダンスを前提としており、C-2x から出てくる振幅の激しいアナログレコードのプリアウトを増幅すると、私の所有する6オーム・インピーダンス・スピーカではピーク時に保護回路が働いて、時おり音が途切れてしまう。アンプの問題ではないとはいえ、お金持ちの邸宅で常規を逸した大音量で再生しない限りそんなことはないだろうと多寡を括っていたが、これが常識的なレベルで起こるので、ちょっと残念ではある。しかし普通に使っている分には味わい深いパワーアンプであることは間違いない。
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パワーアンプ 2 B-6 の音途切れの問題もあって、無理をして購入したのが B-2x である。その名のとおり C-2x とペアとなるべきパワーアンプで、濃密な音楽性は確かに B-6 の上を行く。 バルトークの《弦楽、打楽器とチェレスタのための音楽》、アンタル・ドラティの名盤を聴いた時、弦の各パートがよく分れこれまで聞こえなかったビオラのさざ波に気付いて、感銘を覚えた。低音の力強さ・厚み、ヴァイオリンのハーモニクスの抜けのよさなど、スピーカやプレーヤ、プリアンプとの共同作業の結果であるに違いないにせよ、B-6 との比較において B-2x の性能が無視できない。
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プリアンプ 2 /パワーアンプ 3 1976年ごろの年代物だけど、シンプルなデザイン、透明感のある音がなかなかよい。高校〜大学時代にかけ 75A という安価だが気まじめな Technics プリメインを愛聴していたが、20余年前当時 Technics の高級アンプは緑がかった黒のボディが特徴的で、このラックマウント型のプリとパワーは私の憧れの一品であった。CDのセレクタがない時代のものなので、TUNER のインプットにCDプレーヤを繋いでいる。
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CDプレーヤ 私の所有するアイテムではもっとも最近の製品のひとつで、ベストセラーだけあって念入り・用意周到の八方美人、優等生といった感じ(褒めているように聞こえないか)。いうことがない。 CDが出たてのころはアナログLPの音と比較して、ノイズ・歪みのない正確な再生に驚く一方で、なにか閉ざされた空間の息苦しさを覚え、LPを好んで買い求めたものであった。LPのジャケットがまた存在感があり、盤の個性を演奏以上に特徴づけていてよかった。当初CDとLPは併行してレコードが販売されたものだが、1987年〜88年あたりからCDのみの発売となる音楽ソースが一般的になり、忘れもしない、ピエール・ブレーズの指揮とピエール・アモワイヤルの独奏、ロンドン交響楽団によるシェーンベルクのヴァイオリン協奏曲がエラートからCD単独で発売されたとき、仕様がなく意を決して Technics のポータブルCDプレーヤを購入したのだった。 その当時からすると、プレーヤの品質は格段に進歩して、いまや閉塞感も硬さもない、すっきりした音の広がりが楽しめるようになった。LPはLPの、CDはCDのよさがある。アナログプレーヤやアンプとは異なり、CDプレーヤは最近の製品の方が技術革新の成果が著しく、品質もよいようだ。DENON のこれはそんなことをつらつら思わせるモデルである。
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DVDプレーヤ Pioneer のDVDプレーヤ DV-S646A は、もともと使っていた SONY のCDプレーヤが故障したのを契機に、わが家にもホームシアターを!とばかりに購入したものだ。上記 DENON のCDと比べると音響的にはどうってことはないが、「千と千尋の神隠し」や「ハリーポッター」なんかを子どもといっしょに楽しませてもらっている。またMP3フォーマットの音楽ファイルをPC上で記録したCD−Rを再生できるので、それなりの品質とはいえ500分以上もの BGM を流すのに都合がよい。
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MDレコーダ 1 CDプレーヤの下にある黒いのは SONY の MDS-JE510 MDレコーダで、ヨドバシカメラで叩き売りしていたのものを購入。通勤途中で聴く音楽ディスクを供給するのが目的で、実はMDについては機動力重視であって、あんまり音質にこだわりがない。
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MDレコーダ 2 こちらはメインのMDプレーヤではあるが、そのプロ仕様のデザインを除けば MDS-JE510 に比べてとりたてて高性能であるという印象はない。
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プリメインアンプ 就職して、それまでずっと愛用していた Technics 75A が湿っぽい世田谷のアパートでお亡くなりになったのち、間に合わせで買ったアンプがつまらない代物でこれに見切りをつけた暁に、秋葉原で中古で手に入れたものだ。バブル時代の物量投入の申し子といった感があり、とにかく重いアンプで、きっぷのよい端正な力持ちといった感じの音がする。2回にわたる修理を経てこれも長いつき合いになった。質のよい DA コンバータを搭載し、直接デジタル信号で食った音をバランスよく鳴らしてくれたが、経年の劣化でこちらは飛んでしまった。アナログ入出力はエージングしないと片チャンネルの音が途切れたりと気難しいけれども依然健在で、NS-10M を軽々とドライブしている。そのうちオーバーホールしたいのだが、メーカが受け付けてくれるかどうか。
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ホームシアター用アンプ、LDプレーヤ つい最近調達したホームシアター用AVアンプ。私の狭い家庭にはこの程度が手頃だ。ドルビーサラウンド音響の映画などを見るのはなかなかよい。2002ワールドカップ・サッカーもこれで楽しんだ。もっぱら子どもとの団欒用だ。しかしながら音楽CDの再生はあまりに作り過ぎる感じで、映像を伴わない音楽ソースを聴く気になれないのは、このクラスのAVアンプの限界なのか。 その下にあるのは、DVDの登場でいまや風前の灯火となったLDプレーヤ(Pioneer CLD-909)で、そろそろ居場所を失いつつある。私のぜいたく品購入歴でも最も無駄な買いもののひとつかもしれない。バーンスタインがベルリンの壁崩壊のときに行ったベートヴェン第9の記念コンサート、ヤナーチェクのこれもスメタナ弦楽四重奏団解散記念コンサートのほか、ヴィスコンティの映画などぱらぱらあるソフトのために生き残るのか。そうはいっても結構繰返し視て聴いて飽きないものばかりなのだけれど。
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番外編(カセットデッキ、BSチューナ) 最後になんとカセットデッキ、単体BSチューナ。 TC-K555ESX カセットデッキ(下)は15年ほど前、大学院生のころ、ロシア・東欧で史的唯物論がまだ余命を保っていた時代、ブルガリア製の NC 装置のマニュアルを翻訳するバイトにありつき、その報酬で買い求めたものだ。この取扱説明書はロシア語基本の文章に時おりブルガリア語の変化形が混在するという、こんなんで精密機械の説明になってんの?と思わせる不思議な代物だったが、そんなものを必要とする日本の企業があることがもっと不思議であった。私のロシア語が金になった唯一の経験であった。 いまやカセットデッキはオーディオとして扱われているのか疑問であるが、当時は手頃な録音手段がないのにつけても、高価なカセットデッキが多数発売され、私のこの一品も評判になったモデルのひとつなのである。 元東京カルテットの原田幸一郎、いまは亡き数住岸子の参加したナーダによるフランクのピアノ五重奏曲ヘ短調とバルトークの弦楽四重奏曲第6番の名演、1983年のウェーベルン生誕100年記念音楽祭、1986年のベルリン芸術週間におけるロシア・アヴァンギャルド音楽特集「モスクワの今日」、...などなど NHK-FM で放送された素晴しいライブ、— もうこの形でしか再現できない貴重な記録、学生時代の強烈に懐かしいソースを時おり聴く。カセットテープは磁気媒体ゆえ経年劣化が著しいのが悔やまれる。学生のころはとにかく金がなく、欲しいレコードも満足に買えず、とにかく FM 放送をよく聴きかつカセットテープに録音したものである。当時は、カセットテープ特有のいわゆるヒスノイズも、好きな音楽に身を浸す妨げとはならなかった。 SAT-100RX BSチューナーは音質重視の設計で、10年前の製品であるにもかかわらず、現在のビデオデッキなどの内蔵BSチューナーより格段に音がよいという評判もきいたことがある。とはいえこのチューナーはもう全く使わなくなってしまった。そもそも衛星放送、テレビを見ない。YAHOO オークションに出品したが見向きもされなかった。ということでカセットデッキの上で午睡を貪る今日このごろである。
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